六天楼の宝珠〜亘娥編〜
真っ直ぐこちらを見下ろして来る黒い瞳は、強い怒りを伝えて余りあった。
背筋が凍る思いをしながらも、この表情は以前にも見た事があると記憶を巡らす。
同じ目をしている。榮葉との関係を疑って彼女が嫉妬を爆発させ、さらに彼の方が怒って寝台に押し倒されたあの時と。
違うのは、今回夫は自分に触れていないという所だった。
「私がいるだけでは駄目なのですか」
「──だって、貴方のお母様なのでしょう。他人ではありません」
「あれは母親などではない」
ようやく碩有自身の口から出た季鴬についての言葉は、衝撃的なものだった。
「噂なら聞いたでしょう。その通りなのですよ。取り戻せもしない過去に縋り、周りの事など顧(かえり)みもしない。亡霊と言うに相応しい──あの人の時間は、もう止まったままなのだから」
碩有は立ち上がり、「話がそれだけでしたら、お帰りください」と庭にいる侍女に顔を向け促した。
「仕事に向かいますので」
またいずれとも言わず、妻が房を去るのを黙って見送る。
「──奥方様」
余所余所しいばかりの態度に、触れられる事も。
すぐ傍にいるというのに、触れる事も叶わないなんて。
侍女の問いかけに何も言わず来た道を引き返す翠玉の目元から、小さな雫が零れ落ちていった。
背筋が凍る思いをしながらも、この表情は以前にも見た事があると記憶を巡らす。
同じ目をしている。榮葉との関係を疑って彼女が嫉妬を爆発させ、さらに彼の方が怒って寝台に押し倒されたあの時と。
違うのは、今回夫は自分に触れていないという所だった。
「私がいるだけでは駄目なのですか」
「──だって、貴方のお母様なのでしょう。他人ではありません」
「あれは母親などではない」
ようやく碩有自身の口から出た季鴬についての言葉は、衝撃的なものだった。
「噂なら聞いたでしょう。その通りなのですよ。取り戻せもしない過去に縋り、周りの事など顧(かえり)みもしない。亡霊と言うに相応しい──あの人の時間は、もう止まったままなのだから」
碩有は立ち上がり、「話がそれだけでしたら、お帰りください」と庭にいる侍女に顔を向け促した。
「仕事に向かいますので」
またいずれとも言わず、妻が房を去るのを黙って見送る。
「──奥方様」
余所余所しいばかりの態度に、触れられる事も。
すぐ傍にいるというのに、触れる事も叶わないなんて。
侍女の問いかけに何も言わず来た道を引き返す翠玉の目元から、小さな雫が零れ落ちていった。