六天楼の宝珠〜亘娥編〜
 しばらく一人にしてくれと言われて席を外したものの、心配になった紗甫は気づかれぬ様、実はこっそり次の間から中を覗いたりしていたのである。

 事情を阿坤に聞こうにも、元々あまり多くを語らない女性なのでこちらで察するしかなかった。

 「奏天楼に行きました」という短い報告と、主の涙で。

「……今日はもう寝ます。火は自分で消せると思うから、支度をしてくれたら退がって構わないわ」

 使用人にさえ気を遣う翠玉は、何もかも紗甫に打ち明けるというわけではない。

 今ばかりはその優しさを寂しく思いながらも、紗甫は異を唱えずに食膳を手に掲げ、房から立ち去った。

※※※※

 実は見た目ほど、翠玉は悲しみにくれているわけではなかった。

 こちらに戻ってしばらくは泣きもし己を責めてはいたのだが、その内にふと、今回の仲違いの発端が自分の婚約者との再会にある事に気づいた。

 自分がそうであった様に、夫にも触れられたくないものが存在してもおかしくはない。

 哀しい事ではあったけれども、幸せな記憶よりも辛い記憶の方が爪痕となって、強く残るもの事実だ。

──問題は、私が知った方がいいのか、それとも知らない方がいいのかという事。

 朔行との事はいずれきちんと話をしようと思っているが、碩有はどうだろう。

 言われるまで待っていた方がいいのだとは思うのだが──そもそも、今となってはどう仲直り出来るのかわからない。

 謝っても解けなかった怒りは、どうしたら解けるのだろうか。

 こうして食事も忘れて考え込んでいるうちに、瞬く間に日は暮れ夜も更けていった。

 いくら自分だけで考えても答えは出ない。紗甫も寝支度を終えて出て行ったのを見て、諦めて眠ろうと炉に近寄った。

 何処からか奇妙に響く音が聞こえる。

──庭から?

 こつん、と小石が当たる音に思えた。

「まさか──」

 翠玉は雨戸の閂(かんぬき)を外し、勢い良く押し開ける。

「こんばんは」





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