六天楼の宝珠〜亘娥編〜
 来てしまったわ、と季鴬が外套を羽織った重装備な姿で庭に立っていた。

「どうなさったのですか! こんな寒い日に。お身体を壊しますよ」

 「とにかくお上がり下さい」と脇に避け促した。鷹揚と言うべきか、遠慮する気配もなく彼女は階を上がって房に入る。

「良かった。門前払いをされるのではないかと、少しだけ心配していたのよ」

 ああ寒い、と身を揉む様にして炉に近寄り掌をかざした。

「此処は暖かいわね。私の所は火を入れていないから、寒くてしょうがなくて」

「何か暖かい飲み物でも、持ってこさせましょう」

 椅子を勧めつつ戸口に向かおうとした翠玉を、彼女は手をかざして押しとどめた。

「お構いなく。私が此処に来ていると使用人に知れたら、困るのは貴方じゃない?」

「……そう思うのでしたら、何故おいでになったのですか」

「喧嘩しているのでしょう? 側室もいないのに二日連続で来ていないなんて、そうとしか考えられないわ」

 翠玉は義母をねめつけた。多少不機嫌でも罰は当たらないだろうと思った。

「質問しているのは私の方です」

「だからよ、だから。あの子が何故ああなってしまったのか、話しておいた方がいいと思ってあえてやって来たってわけ」

「第一、もし此処に碩有様がおいでになっていたらどうなさるおつもりだったのですか」

 人の気も知らないでよく言う、と刺刺しい質問を投げると季鴬は挑む様に笑う。

「小石を投げても中から反応がなければ、お取り込み中だと思うつもりだったわ」

 言葉を失って、翠玉は隣の椅子に座り込んだ。

「……お話を伺います」

 まあきっと私のせいなのは間違いないと思うのだけど、そう苦笑を浮かべて季鴬は話し始めた。炭がはぜる音がして、炉の中から漏れる炎の明かりが彼女の頬を照らしている。

「昔話よ──ある一人の愚かな女の、長くて退屈な思い出話」

 嫋嫋(じょうじょう)たる声音で紡がれだしたのは、眠れそうにない夜に──いかにも似合いの物語だった。

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