六天楼の宝珠〜亘娥編〜
 皮肉の応酬の後、決まって慎文は苦笑し、妻の顎に指を掛けこう言うのである。

「まだまだ子供だね。もう少し大人になったら、自然に世継ぎが授かるだろう」

 何を世迷言を、と季鴬は房を去って行く広い背中を冷たく見送りながら嗤(わら)った。

 大人でなくとも身体が成熟し、行為さえあれば子供は出来るというのに。

 慎文が傍目には良き夫であるのは──貴人の常識の範囲内では──どうやら間違いがなさそうだった。

 様々な贈り物を欠かさず、異国の妻が過ごしやすい様にと故郷の内装を房に取り入れる。暦を見ているのかというほど判で押した様な訪ない。遠ざかるでも、執着するでもない。

 他の女性に対しても同じ事をするのか、と聞いた事もあった。月見をしていた夜の話だ。

「まあそうだね。他の人たちはもう少し喜んでくれるけど」

「貴方は私を喜ばせようとしているの? それとも怒らせようとしているの」

「その言葉はそっくり返すよ。全く季鴬と来たら面白いね。今ぐらいは情緒というものを汲み取って欲しいな」

 まるで亘娥の様だ、と彼は頭上に広がる澄んだ天穹(てんきゅう)を見て笑った。真円に満ちた月は煌煌(こうこう)と闇を照らし、雨戸を開けた房は灯火がなくとも明るい。

「ではご自分は差し詰め猊とでも言うおつもり?」

 華やかなおおらかさと博(ひろ)い情。灼熱のそれではなくとも、春の日和程度なら似つかわしいかもしれない。秋や冬の憂いを決して知る事などきっとない光輝だ。

「まさか。猊ならば亘娥には触れられないからね……」

 少なくとも神話ではそうなっている。

 弓の名人でもあった猊は誤って天を射抜いてしまい、天の神尭卯(ぎょうう)の罰を受けて妻に永遠に会えなくされる。だから日と月は同じ時に姿が見えないし、見えても昼の月は顔色が悪い、という謂(いわ)れだ。

 亘娥に会えなくなった猊は己の行動を悔いたが、彼女は不名誉を受けたと夫を憎んでいる為だという。


 一体いつまでこんな事が続くのだろう。

 伸ばされた手に身体を委ねるしかないというのに、幾度迎え入れても一向に夫の肌は己に馴染まない。

 女性の身体を知り尽くしているであろう愛撫も、広がって行く彼女の内なる空洞を埋める事は出来なかった。
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