六天楼の宝珠〜亘娥編〜
 とからかう様に笑う。

「今だって充分……苦しいわ」

 流産の苦痛を指して言っているのだろうと思って訴えると、慎文は少しだけほろ苦い表情をした。

「まあ、とにかく人の言う事は聞けって話かな」

 寝台脇に椅子を持ってきて、腰を下ろすと枦橘の皮を指で器用に剥き始めた。

「厨房で切れ目を入れてもらったんだ。鄭領では今が収穫時期なんだってね」

 恐らく彼は知っていて取り寄せてくれたのだろう。妻が故郷で好きだったものを、侍女辺りから聞いたに違いない。いつもそうだ。そつがない。

「口を開けて」

 季鴬は肩肘を立てて、半身を起こした。

「病人扱いしないで。自分で食べられます」

「じゃ、はい」

 皿ごと差し出された皮と同じ色の瑞々しい果肉を、彼女は匙で掬い取る。

 久しぶりに口にした食物は懐かしい味がした。

「どう? 美味しい?」

「……ええ」

「良かった」

 成熟した果実よりも、慎文の言葉は甘く響いた。それでも季鴬は彼を見ようとせずに、ただ黙って枦橘を口に運んだ。

 沈黙に耐えかねて、小声で礼だけを言うと顎を持ち上げられる。

「……付いているよ。口の横に」

 拭ったのは手ではなかったが、季鴬は特に抵抗するでもなく受け入れた。唇の横から徐々に移動して来ても、歯の隙間から舌が滑り込んで来たとしても。

「季鴬──」

 唇を離した刹那、次に何かを言おうとしている夫に彼女は冷えた視線を向けた。

「私は身重なのよ」

「ああ、わかっている」

「夜伽はしないわ。必要なら、他に行って」

 硬く強ばった面で告げると、彼は「そこまで不自由してないよ」と苦笑して立ち上がった。

「帰るの?」

「まるで帰って欲しい様な言い草だね」

 だが彼は房を去るどころか、枕元に積まれた書物の一つを取り上げてまた腰を落ち着ける。
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