六天楼の宝珠〜亘娥編〜
「あそこは……緋鉱石が採れる町でしょう」

 槙文が本を見て指差した、娥玉も採れるという場所。

「そんなに盗掘の被害がひどいの?」

「定期的に何者かが石を横流しにしている疑いがあると、もっぱらの噂ですじゃ」

 ひどく胸騒ぎがして、その後の槐苑の話も上の空になった。

 直轄で監督している鉱山だと聞いている。彼女は陶の政治にはあまり詳しくなかったが、鄭ではよく父や兄の教えを受けた。

 不正を行うならば、現地の上役人が関わらないとまず出来ないのではないか。

 だとしたら、彼らにとって槙文の来訪は──危機であり、好機でもある。

 止めなければ。そう思ったが、六天楼を離れるのは掟で禁じられていた。

──あのひとに……せめて文を出して、忠告を。

 筆を執ろうとして、その手がひどく震えている事に驚いた。

 まるで時機を計ったかのごとく、寝台の中の碩有が泣きだす。お腹が空いたでも下布を替えるでもない泣き方は彼女の不安を煽った。

「大丈夫よ……」

 抱き上げてあやすものの、言葉の確かさを季鴬自身が一番信じていない。

「随分と大きな泣き声だね。もの静かな子だと思っていたのに」

 聞こえるはずのない男性の声に、耳を疑って彼女は寝台から赤子を抱えたまま飛び出した。

 房の中に槙文が立っていた。背広ではなく略式の衣衫(いさん)を着ているという事は、執務が終わったのだなどと、呆然としながらも思った。

「……貴方、なぜ此処に」

「相変わらずご挨拶だね。ひと月も会わなかったのに」

 今までの狼狽など何処かへ行ってしまったかの様に、季鴬は目を吊り上げた。

「それはこちらの言葉だわ。質問に答えて」

 槙文は笑った。全く以前通りの、彼独特の屈託のない笑みだった。

「もしかして、怒っている?」
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