六天楼の宝珠〜亘娥編〜
だが自分は夫を愛しているかと聞かれれば、よくわからなかった。自分がよく知る愛情とは、こんなどす黒く燻るものではない。そう、彼が息子に向ける様な穏やかな感情ではないのか。
来てくれたのは嬉しかった。今日まっすぐに東に戻ったというのなら、恐らく最後に此処を選んだのだ。たとえ息子がいるからという理由だけでも、忘れ去られてはいなかったのだから。
──ああ。それを素直に伝えれば良かった。
少しだけ後悔したが、きっと賭けとやらに槙文は勝ってしまうだろう。不運などには縁のない人種な気がしていた。戻って来たら、もう一度だけでも頑張って向き合ってみよう──今度こそ、きちんと。
久しぶりに触れた唇はほんの一瞬だけにも関わらず、身体の芯を揺るがすほどに鮮烈に心に残った。それが自分が変わりつつあるという、確かな兆しに思えたから。
※※※※
「奥方様! お使者の方が参りました!!」
槙文が戻る前日は、重苦しい曇り空が洛の空を覆っていた。
彼が出立して三日目辺りから、長雨が降り続いていた。今日になってようやく止んだものの建物内は暗く、昼から既に灯火は上がっている。
ほの明るい房の中で季鴬は、危急の報せを持って来たと言うその使者の言葉に、頭を殴られた様な衝撃を受けた。
「な……んです……って……」
槙文が、呉の外れで山崩れに遭ったというのだ。
「盗賊は退治する事が出来たのですが、洛庁へと護送する手配が予定よりも延びたと急ぎ帰る途中でございました。往路の橋が大雨で流されてしまい、迂回をと選んだ山道もまた地盤が緩んでいたものと思われます……上からの落石を避けきれず……」
使者の女性は奏天楼の執務房に使える官吏で、説明は理路整然としていた。それでも沈痛な面持ちが、嫌な結末を連想させる。
来てくれたのは嬉しかった。今日まっすぐに東に戻ったというのなら、恐らく最後に此処を選んだのだ。たとえ息子がいるからという理由だけでも、忘れ去られてはいなかったのだから。
──ああ。それを素直に伝えれば良かった。
少しだけ後悔したが、きっと賭けとやらに槙文は勝ってしまうだろう。不運などには縁のない人種な気がしていた。戻って来たら、もう一度だけでも頑張って向き合ってみよう──今度こそ、きちんと。
久しぶりに触れた唇はほんの一瞬だけにも関わらず、身体の芯を揺るがすほどに鮮烈に心に残った。それが自分が変わりつつあるという、確かな兆しに思えたから。
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「奥方様! お使者の方が参りました!!」
槙文が戻る前日は、重苦しい曇り空が洛の空を覆っていた。
彼が出立して三日目辺りから、長雨が降り続いていた。今日になってようやく止んだものの建物内は暗く、昼から既に灯火は上がっている。
ほの明るい房の中で季鴬は、危急の報せを持って来たと言うその使者の言葉に、頭を殴られた様な衝撃を受けた。
「な……んです……って……」
槙文が、呉の外れで山崩れに遭ったというのだ。
「盗賊は退治する事が出来たのですが、洛庁へと護送する手配が予定よりも延びたと急ぎ帰る途中でございました。往路の橋が大雨で流されてしまい、迂回をと選んだ山道もまた地盤が緩んでいたものと思われます……上からの落石を避けきれず……」
使者の女性は奏天楼の執務房に使える官吏で、説明は理路整然としていた。それでも沈痛な面持ちが、嫌な結末を連想させる。