六天楼の宝珠〜亘娥編〜
※※※※

 言うだけ言って去ってしまった──季鴬の為に開けた雨戸を閉めようと手を掛けて、翠玉は溜息をついた。

 夜の冷たい空気に顔をさらして、涙の火照りを鎮めようとそこにしばらく立っていた。

──亘娥の祝福を受けた瓊瑶……か。

 空を見上げても未だ雲は晴れず、ぼんやりとした闇が広がるばかりだ。けれど月があるだろう場所には、うっすらと光の輪が見える。

 姿を隠した猊と、一人世に残された女神を思う。

──触れ合う事が叶わなくとも、同じ空にいられるだけ幸せなのだろうか。それとも尚苦しいのだろうか。

 槙文はいざという時には妻を手放そうとしていた。それが彼女を思っての事であったにせよ、最善が常に正解とは限らない。

「碩有様とまるで逆だわ……」

 片や手放そうとし、片や自分を閉じ込めようかと言う。同じ親子でもこうも違うものか。

「何が私と逆なんです?」

 翠玉は自分の空耳かと思った。だってこれではまるで、さっきの話の様ではないか──

「……碩有様」

 階近くに立っているのは、紛れもなく自分の夫だった。槙文の幽霊などではない。

「何故、庭からおいでに。とにかく、お入りください。身体を冷やします」

 脇に避けて中に促しても、彼は階を上がろうとしなかった。怪訝そうな面持ちで、今しがた季鴬が去った方角を見ている。

「貴方こそ、こんな時間に雨戸を開けるなんて感心しませんね。庭がどうかしたのですか」

「いえっ。何でもありません!」

 さあさあ、とごまかすのも手伝って彼女は碩有の腕を取り、引っ張った。

 奇妙な表情をして彼は引かれるがままに中に入るものの、椅子に座ると特に何を話すでもなく黙った。

 沈黙が重たい。

──仲直りと言っても……どうしたらいいだろう。

 季鴬の話なんて今は絶対に出来ないし、重ねて謝るのも何か違う気がする。

「あの!」

 とりあえず話しかけてみようと、無謀に口火を切った時だった。

「……貴方が、庭から奏天楼に来たから。真似をしてみたのです。まさか戸が開いているとは思わなかった。その上私の名前が出て来たのには、驚きました」
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