六天楼の宝珠〜亘娥編〜
 瞼を伝って頬、耳をなぞり、次いで貪る様に唇を奪う。髪飾りを外した長い黒髪に、指を差し入れて頭を抱いた。

「墓参りの? 私は、本当にただ昔の嫌な事を思い出して……そんな姿を見られたくなかっただけで……」

 唇が離れた合間に言うと、碩有は笑った。低く漣(さざなみ)にも似て、それだけで翠玉の背筋がしびれる。

「いいえ、今日の朝の話です」

 また怒るかと顔を覗きこんでみたが、そうでもない様だ。

「執務の前に貴方を見るなんて……おかげで今日一日、何度朗世に叱られた事か」

 左腕を首の後ろに回して抱くと、自由な右の手指に髪を巻きつけ引き寄せる。

 やや荒くなった指の動きから、朔行の件はもう話さない方がいいのだと彼女は悟った。

 そう、今は過去のあれこれよりも単純なものが大切だ。

──望んでいたのは、自分も同じだったから。

 目の前にいるこの人に、ただ触れたいと。

 心を占めて離さない人が此処にいて自分を思ってくれる。本当に、何と贅沢な事なのだろう。

 碩有の腕の中で己を満たす潮流に身を委ねながら、翠玉は我を忘れるのを必死に耐えた。絡めとられているのは私も同じなのだと──せめて与えられるものに少しでも近い思いを、感じて欲しいと思ったから。
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