ありのまま、愛すること。
命
1969年5月16日
薄く空が曇って、風が妙に生暖かい、土曜日の午後のことだった。
そんなように記憶している。
少年野球の練習が終わった小学5年生、10歳の私は、前の日と同じように、土にまみれたユニフォーム姿のまま、母の入院している横浜市立大学付属病院に向かった。
手には愛用のバットとグローブを携えたままである。
10日ほど前から母が入院している病院に着くと、いつも母がいるはずの病室のベッドが、そこにない。
当然、母もいるはずがない。
ぽっかりとそこだけ、がらんどうになっているのである。
「あれっ? お母さん、どこ行っちゃったんだろう……検査かな、今日は検査って言ってたっけ?」
母は慢性腎炎が悪化していたため、ここ1年ほどは入院を余儀なくされ、2度の転院をしていた。
そんなように記憶している。
少年野球の練習が終わった小学5年生、10歳の私は、前の日と同じように、土にまみれたユニフォーム姿のまま、母の入院している横浜市立大学付属病院に向かった。
手には愛用のバットとグローブを携えたままである。
10日ほど前から母が入院している病院に着くと、いつも母がいるはずの病室のベッドが、そこにない。
当然、母もいるはずがない。
ぽっかりとそこだけ、がらんどうになっているのである。
「あれっ? お母さん、どこ行っちゃったんだろう……検査かな、今日は検査って言ってたっけ?」
母は慢性腎炎が悪化していたため、ここ1年ほどは入院を余儀なくされ、2度の転院をしていた。