ありのまま、愛すること。
それは、幼いころの、わが家での光景です。

そう、父の会社が羽振りのよかったころ、まだ母が元気だったころ、私の家のカラーテレビから流れるスポーツ中継目当てに、近所中の大人が、子どもが集まって、ワイワイ、ガヤガヤと肩を寄せ合って騒いでいた、そして母が、彼らをいい気分にさばいていた、それらがいっしょになって、私の頭に生き生きと蘇ってきたのです。

人種のるつぼであるライブハウスでの風景と、幼いころのわが家での近所の人々同士の交流の光景が、そこでピタリとシンクロしたんですね。

ああ、こんな思いを共有できるような、お店に携わる仕事をしたいなあ……。

ひとりでも多くの笑顔に触れていたい─。


そして、私のなかにそのモチベーションが強くあることを感じたとき、もうひとつの共通項を感じることになりました。

それは、幼いころのわが家で、友人たちに振る舞っていた母の姿、そしてそこに、マザー・テレサの、人々への献身の姿が重なり合い、二人の女性の崇高なる魂が、私の心のなかに否応なしに、大いなる本分をかきたてたのです。

肌の色、貧富の差、それぞれの出自の事情……。

それらをの垣根を越えて、人々が集い、笑い合い、喜びを分かち合う空間をつくるためには、その媒介者となる人間の存在が必要であり、またその人間は、奉仕の精神が旺盛でなければ務まらない。

私は母に、そして大人になってマザー・テレサのなかに、共通するその慈悲深さを見た。

であるならば、ここでそれらすべてがひとつにつながった瞬間に、私がそこから人生をかけて取り組むべき道筋は、必然的に定まったといえるはず。


< 102 / 215 >

この作品をシェア

pagetop