ありのまま、愛すること。
結婚披露宴をしたのは、2年後の1987年11月4日でした。
場所は帝国ホテル2階の「光の間」。
なぜ帝国ホテルかというと、父の戦友が帝国ホテル総料理長の村上信夫氏であったためです。
そして、その翌年、嬉しい報が入りました。
私はそのころ、自覚症状こそありませんでしたが、大きなストレスがかかっていたのでしょう、知らず知らずのうちに飲酒量も、喫煙量もかなり増えていました。これではいくらなんでもと思った私は、喫煙を自分なりに自主規制。
その分、ストレス解消に酒に走る私をかねてから心配していた妻は、その日もこう言いました。
「禁酒は冗談だけど、節酒はしてもらいたいの。……あのね、朗報があるのよ」
すると思わせぶりに、彼女は次の言葉を発しません。
「どうした、早く言えよ」
私の催促に、ようやく妻はつづけたのです。
「子どもができました。『妊娠3カ月です』って先生に言われたの。出産予定日は、12月10日だって……」
このときの私の喜びようは、ありませんでした。二人が望んで望んで、いつできてもおかしくないのに、丸々2年間、なかなかできなかった子どもが、とうとう妻のお腹に宿ったのです。
場所は帝国ホテル2階の「光の間」。
なぜ帝国ホテルかというと、父の戦友が帝国ホテル総料理長の村上信夫氏であったためです。
そして、その翌年、嬉しい報が入りました。
私はそのころ、自覚症状こそありませんでしたが、大きなストレスがかかっていたのでしょう、知らず知らずのうちに飲酒量も、喫煙量もかなり増えていました。これではいくらなんでもと思った私は、喫煙を自分なりに自主規制。
その分、ストレス解消に酒に走る私をかねてから心配していた妻は、その日もこう言いました。
「禁酒は冗談だけど、節酒はしてもらいたいの。……あのね、朗報があるのよ」
すると思わせぶりに、彼女は次の言葉を発しません。
「どうした、早く言えよ」
私の催促に、ようやく妻はつづけたのです。
「子どもができました。『妊娠3カ月です』って先生に言われたの。出産予定日は、12月10日だって……」
このときの私の喜びようは、ありませんでした。二人が望んで望んで、いつできてもおかしくないのに、丸々2年間、なかなかできなかった子どもが、とうとう妻のお腹に宿ったのです。