ありのまま、愛すること。
その2年後、89年6月30日、今度は次男の出産の日でした。
前日28日の夕方に陣痛に見舞われた妻を、私は病院に送り届けました。
そして翌日の深夜、正確には日付が変わって30日1時41分、3234グラムの大きな男児を、妻は無事に出産することができたのです。
相当な難産で、私は分娩室の前で神に祈らずにはいられませんでした。
妻子と対面したとき、私はどれだけ安堵したことか。
どんなに頑張っても男性は子どもを産むことはできませんから、祈るしかないのです。
このときも、ただ涙で、さすがに疲労困憊している妻に話しかけました。
「元気そうな男の子だよ。洋子、よく頑張ってくれた。ありがとう。俺は、君と子どもたちを幸福にするために命を賭けることを誓うよ」
次男には、「烈士」と名づけました。
「節義に固く、信念を貫き通す強い男子」という意味です。
私は次男に、
「自分の信念を大切にする男。われに正義があるのなら、たとえ敵が1000万人といえども、われ行かん」
そんな生き方をしてほしいと考えたのです。
前日28日の夕方に陣痛に見舞われた妻を、私は病院に送り届けました。
そして翌日の深夜、正確には日付が変わって30日1時41分、3234グラムの大きな男児を、妻は無事に出産することができたのです。
相当な難産で、私は分娩室の前で神に祈らずにはいられませんでした。
妻子と対面したとき、私はどれだけ安堵したことか。
どんなに頑張っても男性は子どもを産むことはできませんから、祈るしかないのです。
このときも、ただ涙で、さすがに疲労困憊している妻に話しかけました。
「元気そうな男の子だよ。洋子、よく頑張ってくれた。ありがとう。俺は、君と子どもたちを幸福にするために命を賭けることを誓うよ」
次男には、「烈士」と名づけました。
「節義に固く、信念を貫き通す強い男子」という意味です。
私は次男に、
「自分の信念を大切にする男。われに正義があるのなら、たとえ敵が1000万人といえども、われ行かん」
そんな生き方をしてほしいと考えたのです。