ありのまま、愛すること。
毎朝の仏間での対話
「母の日」が、すごく嫌いでした。
私にとって、「母がいない」ことを無理矢理、その「現実を思い出させられる日」でしたから。
自分だけ「白いカーネーション」を持たなければいけない、なぜ?
それを「亡き母に手向けなければ…」、なぜ?
それは長年、私にとって、不条理以外のなにものでもなかったんです。
しかしながら─。
「母親の命日」には、必ず墓参りをしています。
毎年5月16日は、私にとっての母の日でもあるのです。
中学3年生でキリスト教の布教から離れて以来、「もう母親とは会えないんだ」ということは自覚していました。
だから、母親の写真を鞄のなかに入れてつねに持ち歩いていたんです。そうすることで、非常に身近な存在として母を感じていた。
なにか、ふとした瞬間に母の写真を見ることで、むしろ、生きている人よりも身近に感じられる、そんな存在でした。
では、どういうときに、どんな会話を母としていたのかというと、高校─大学当時はまだ、そこまでではありませんでした。
「困ってしまったから、助けてほしい」とすがる存在として、母がいたわけではないんです。
神や仏ではなく、私にとっては、「母」以外の何者でもなかったわけですから。
私にとって、「母がいない」ことを無理矢理、その「現実を思い出させられる日」でしたから。
自分だけ「白いカーネーション」を持たなければいけない、なぜ?
それを「亡き母に手向けなければ…」、なぜ?
それは長年、私にとって、不条理以外のなにものでもなかったんです。
しかしながら─。
「母親の命日」には、必ず墓参りをしています。
毎年5月16日は、私にとっての母の日でもあるのです。
中学3年生でキリスト教の布教から離れて以来、「もう母親とは会えないんだ」ということは自覚していました。
だから、母親の写真を鞄のなかに入れてつねに持ち歩いていたんです。そうすることで、非常に身近な存在として母を感じていた。
なにか、ふとした瞬間に母の写真を見ることで、むしろ、生きている人よりも身近に感じられる、そんな存在でした。
では、どういうときに、どんな会話を母としていたのかというと、高校─大学当時はまだ、そこまでではありませんでした。
「困ってしまったから、助けてほしい」とすがる存在として、母がいたわけではないんです。
神や仏ではなく、私にとっては、「母」以外の何者でもなかったわけですから。