ありのまま、愛すること。
砂に撒く水
さて、今から6年ほど前のことです。
「貧しいことは不便だが、不幸ではない」といった私の考えが、覆されることとなりました。
小学1年生、10歳の女の子。彼女はSAJのサポートプランで学校に通えています。
お父さんは失業中、お母さんは病気、兄弟5人、末の弟さんの耳は聞こえず、この7人の生活を支えているのは、10歳の女の子の、籐のかごづくりでした。
彼女は学校にいる2時間以外は働き続けます。
バラのような棘をそぎ、1本のひもにし、そのひも状のものを編んで、籐のかごをつくるのです。1日働いて、出来上がるのはたった一つ。
そのかごの値段は、500リエル=12・5円です。家族7人が、その収入で生きているのです。3食など、食べられるわけがありません。
1日1食、しかも十分な量ではなく、痩せ細った家族の姿がそれを証明しています。
このとき私は、
「貧しすぎることは間違いなく不幸である」
そう確信しました。
この目の前の現実に対して何ができるのか、深く考えさせられたのです。
1000人の人のことを心配するより、一人の人のために行動することの大切さを、改めて思い知らされた気がしました。
その家を離れようとすると、病気のお母さんが私のもとに寄ってきて、「娘を学校へ行かせてくれてありがとう」と手を合わせられました。
大きな、大きな「ありがとう」をいただき、この活動の火を決して絶やしてはならないと、思いを強くしたのです。
それからWFP=世界食糧計画との出会いがあり、現在ではコンポンチュナン州内のSAJが建設した小学校に通う8810人の給食と、661人の子どもたちへのお米支援を行っています。
「貧しいことは不便だが、不幸ではない」といった私の考えが、覆されることとなりました。
小学1年生、10歳の女の子。彼女はSAJのサポートプランで学校に通えています。
お父さんは失業中、お母さんは病気、兄弟5人、末の弟さんの耳は聞こえず、この7人の生活を支えているのは、10歳の女の子の、籐のかごづくりでした。
彼女は学校にいる2時間以外は働き続けます。
バラのような棘をそぎ、1本のひもにし、そのひも状のものを編んで、籐のかごをつくるのです。1日働いて、出来上がるのはたった一つ。
そのかごの値段は、500リエル=12・5円です。家族7人が、その収入で生きているのです。3食など、食べられるわけがありません。
1日1食、しかも十分な量ではなく、痩せ細った家族の姿がそれを証明しています。
このとき私は、
「貧しすぎることは間違いなく不幸である」
そう確信しました。
この目の前の現実に対して何ができるのか、深く考えさせられたのです。
1000人の人のことを心配するより、一人の人のために行動することの大切さを、改めて思い知らされた気がしました。
その家を離れようとすると、病気のお母さんが私のもとに寄ってきて、「娘を学校へ行かせてくれてありがとう」と手を合わせられました。
大きな、大きな「ありがとう」をいただき、この活動の火を決して絶やしてはならないと、思いを強くしたのです。
それからWFP=世界食糧計画との出会いがあり、現在ではコンポンチュナン州内のSAJが建設した小学校に通う8810人の給食と、661人の子どもたちへのお米支援を行っています。