ありのまま、愛すること。
 ─学校が足りないと言われ、学校をつくらせてもらった。学校のインフラがないから、整えさせてもらった。貧しくて学校へ行けない子を応援させてもらった。生活を目の当たりにし、「ご飯を食べてほしい」と願った。そして「病気を治してほしい」と願った。問題が次々と見えてくる。その一つひとつの問題は「国」の問題であり、その一つひとつの問題のあまりの大きさと深さに、心がひるむ─

そんなとき、アヒルの卵拾いの少年が見送りに来てくれました。

彼を手招きし、ホテルで作ってくれた私たちのランチを渡しました。

少年はフランスパンを見て、何とも言えない表情をしました。

「今日のご飯が食べられる」という「安堵の表情」などといった薄っぺらな表現では当てはまらない、深い表情でした。

そのとき、ふっと思いついたことがありました。

 ─今日、彼は食事ができる─

その言葉が頭をぐるぐる回ったのです。

 ─今日、彼は食事ができる─

涙があふれました。嬉しそうに手を振り、家へ帰る後ろ姿を見ていて、胸が、ただただ熱くなりました。

大きなことは考えなくてもいい、できることを一つひとつ、させていただくだけだと、そう思ったのです。

 ─医療団の薬によって、あの子の頭痛が、たった1日なくなればいいじゃないか。

焼け石に水だっていいじゃないか。

砂に水を撒こう。

砂に水を撒いて何になると人は言うかもしれない。

砂に水を撒いた瞬間、砂が一瞬でも濡れればいい。

撒かないよりは蒔いたほうがいい。

虚しくなんかない。ひとつでも現実が変わればそれでいい─

アヒルの卵拾いの少年が教えてくれたのです。


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