ありのまま、愛すること。
孤児院の事業は、それまでSAJが取り組んできた「学校建設」「給食支援」「生活支援」などとは、性質をまったく異にします。
今までの事業は彼らの応援団でした。しかし、孤児院の事業は応援ではありません。
たとえるなら、マラソンで、沿道でそれまでは旗を振っていたのが、共に走る伴走者になったようなものです。
─孤児全員の人生と共に生きる─
この覚悟がなくては、この事業に関わるべきではないと考えました。それゆえ、重さを感じていたのも事実です。
それまでは、「焼け石に水」でも、「砂に水」でもいいと思っていた自分のスタンスが、いかに「甘ったれた」ものかを思い知らされる現実が、目の前にあったからです。
水を撒ける分だけ撒き、撒きたいときだけ撒くことほど、楽なものはない。
所詮、自分を守りながらのボランティアでしかありません。
「自分」を守りながら他人に尽くすことなど、簡単なことなのです。
「自分」を捨て、他人に尽くすことによる「学び」が存在することを、私は孤児院を始めることで思い知らされました。
焼け石に水をかけつづけなければならない。
砂に水を撒きつづけなければならない。
それは「何があっても」であり、それは「どうしても」なのです。
今までの事業は彼らの応援団でした。しかし、孤児院の事業は応援ではありません。
たとえるなら、マラソンで、沿道でそれまでは旗を振っていたのが、共に走る伴走者になったようなものです。
─孤児全員の人生と共に生きる─
この覚悟がなくては、この事業に関わるべきではないと考えました。それゆえ、重さを感じていたのも事実です。
それまでは、「焼け石に水」でも、「砂に水」でもいいと思っていた自分のスタンスが、いかに「甘ったれた」ものかを思い知らされる現実が、目の前にあったからです。
水を撒ける分だけ撒き、撒きたいときだけ撒くことほど、楽なものはない。
所詮、自分を守りながらのボランティアでしかありません。
「自分」を守りながら他人に尽くすことなど、簡単なことなのです。
「自分」を捨て、他人に尽くすことによる「学び」が存在することを、私は孤児院を始めることで思い知らされました。
焼け石に水をかけつづけなければならない。
砂に水を撒きつづけなければならない。
それは「何があっても」であり、それは「どうしても」なのです。