ありのまま、愛すること。
若くして病魔に侵され、ホスピスに入れられる方もいます。

30代の男性は、まだ保育園に通っている二人の子どもと、最期の時間をこのホスピスで過ごされたそうです。

生花の先生が版画の先生の旦那さんと一緒に、最後の力を振り絞って「二人展」を病院で開かれたこともあったとか。

このホスピスは、なんでも「あり」なんです。「家でおかゆが食べたい」という患者さんのために救急車が出動したことを、院長先生は楽しそうに話してくれました。

私がホスピスでボランティアをさせていただいた時間、このとき、「生命」について、「幸せ」について、「人」について考えさせられました。

「死」は大切な人たちとの別れをともなうがゆえ、「幸せな死」など存在はしませんが、死ぬときに「幸せな人生だった」と思える「死」は存在すると思います。

「自分の人生が、終わることは残念だ。しかし今までの人生に悔いはない」

そう言い切れる「死」は存在すると思うのです。
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