ありのまま、愛すること。

光と影

母は、たいへん歌が上手な人でした。

現在は千葉に住む、小学校時代からの無二の親友であるチエ子さんからすれば、母の歌の上手さは、当時から周囲より抜きん出ていたそうです。

「交通局長さんのお嬢さんのほうが、和枝ちゃんよりよっぽど歌がうまいよね」

そう近所で言われるほどに。

この「和枝ちゃん」とは、あの国民的歌手である故・美空ひばりさんのことでした。

戦中の横浜市内で、10歳にならないうちから歌のうまさが評判だったというひばりさん。

その後、苦労を重ねながらプロの歌手になる道を母と二人三脚で歩み、やがて昭和の国民的大スターとして、敗戦から日本人が復興に向けていく過程で勇気と夢を与えつづける存在となっていくのは、いまさら私が述べるまでもないところです。

その美空ひばりさんと、私の母は、母のほうが3つ年上になります。
もちろん肩を並べて歌ったことなど一度もなかったでしょうし、“歌姫”ひばりさんの歌唱力はもとより、他に比類なきものです。

しかしながら当時、母の歌声が近所でそのような評判になっていたという話を聞いただけでも、私は鼻が高い思いでした。

ともあれ、終戦から1年明けた1946年、横浜市の滝頭小学校6年生のときに知り合った同級生であるチエ子さんと母は、竹馬の友であったようです。

小学校を卒業すると、母は4年制の女学校に、チエ子さんは高等科─東京の新制中学と、住む場所も学び舎も異にしますが、家族ぐるみのつきあいはその後、ずっとつづいていきます。
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