ありのまま、愛すること。
「横浜レインボー」を運営するなか、父はテレビのCM製作会社を興しました。

結婚した後、母は「横浜レインボー」の経営者となるのです。

社長になった母は、白いスーツに身を包み、真っ赤なスポーツカーを乗りこなすアクティブな女性。

ですが、母がもともとキャリアウーマン志向だったのかというと、私にはそうは思えない部分があります。

会社の社長と結婚したのはたまたまであり、後に自分が、社長にならざるを得なかったという流れだったのではないでしょうか。

そんな母の病気がわかったのは、高校時代の定期検診でのことだと聞いています。

慢性的な腎臓疾患を抱え、子どもは産んでも一人が限界だと言われていたそうです。

初産が女の子だった母は、それでも第2子を切望したんだとか。

そして、私を産んだ。

チエ子さんも家庭を持ち、息子さんを一人出産されています。

家族ぐるみのつきあいは、それぞれが子どもを持ってからも続いたのです。

チエ子さんの家のある千葉の館山に、母と姉と3人で、よく遊びに行きました。

私は活発な子どもでしたから、向こうの息子さん─おにいちゃんと私は呼んでいましたが─に、よっかかっていっては、ずいぶんドタバタと騒いでいた記憶があります。

寝る時間になってもふとんの上で暴れ回っていて、チエ子さんの旦那さんに、

「なにやってんだ、子どもはもう寝ろ!」

と怒鳴られたのも、懐かしい思い出です。
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