ありのまま、愛すること。
当初は高卒で社長になろうと考えていたんですが、高校3年の春にさすがに大学に行こうと考えました。
それは三者面談でのことです。
「お前、どこの大学に行くんだ?」
と聞かれ、私は、
「大学なんて行かずに、社長になります」
と答えました。
担任は、
「いまの世の中、大学に行かないで社長になるなんて無理だ。それに、お前は何の社長になりたいんだ?」
そう問われて、答えられない自分がいたわけです。
答えに詰まった私に、
「それを探すために大学に行け。すこしは真面目に勉強するんだ」
と、先生。
これには確かにそうだなと、「わかりました」とうなずかざるを得ない私がいました。
闇雲に「社長になる」といっても、私はしかるべき機関で講義を受けながら、しかるべき実地で経験を積んでいくという選択肢を、端から捨てていました。
粋がった自分の“ツッパリ”だけでは到底、夢の実現は無理だったでしょうし、本当はこのとき、先生の言ってくれた一言は、渡りに船だったのでしょう。
それは三者面談でのことです。
「お前、どこの大学に行くんだ?」
と聞かれ、私は、
「大学なんて行かずに、社長になります」
と答えました。
担任は、
「いまの世の中、大学に行かないで社長になるなんて無理だ。それに、お前は何の社長になりたいんだ?」
そう問われて、答えられない自分がいたわけです。
答えに詰まった私に、
「それを探すために大学に行け。すこしは真面目に勉強するんだ」
と、先生。
これには確かにそうだなと、「わかりました」とうなずかざるを得ない私がいました。
闇雲に「社長になる」といっても、私はしかるべき機関で講義を受けながら、しかるべき実地で経験を積んでいくという選択肢を、端から捨てていました。
粋がった自分の“ツッパリ”だけでは到底、夢の実現は無理だったでしょうし、本当はこのとき、先生の言ってくれた一言は、渡りに船だったのでしょう。