ありのまま、愛すること。
私ももちろん、毎日反省です。あのときなんでこんなことを言ってしまったのかとか、死ぬほど後悔することがあります。

そんなときは反省しっぱなしだと落ち込んでしまうので、死ぬほど反省をしたら、しょうがない、所詮いまの私はそこまでしかできないと、すぱっと諦めてしまいます。そうして翌朝には忘れてしまうようにするのです。

しかし、心のどこかにその悔しさと反省がインプットされます。そうすると、二度と繰り返しません。

死ぬほどの反省を経ることで、相手の気持ちをふっと思いやれる人間になっていきたいと、そう思っているのです。

優しさには、広さと深さがあります。

まだ会ったことのない人にまで優しさを持てる人は、いつも心を痛めているはずです。

目の前のことしか見えないと、いつも他人に関して無関心になってしまいます。

マザーは、愛の反対は無関心であると説いています。人間は本来優しいもの、素敵なものなのに、多くの人は無関心でいる。

日本以外の場所で1分間に28人の子どもたちがご飯を食べることができずに亡くなっているのに、この国では、膨大な食料が廃棄される現実に気づかずにいます。

これは、無関心の象徴でしょう。

この無関心の恐ろしさを遠ざけるために、私は日々、自分の愛の幅と深さを日記で確認しています。

今日は他人の喜びや悲しみを共有できたか、できなかったのなら、自分が人間として優しくなかったのはこういうことだったからだと記すことで、できるかぎり自分のなかの「無関心」を、「愛」に変えていこうと思うのです。
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