午睡は香を纏いて
「海岸線を、ブランカより南へぐんと下ったところ。天気が良ければゼユーダを遠くに見ることのできるほどのところに、キルケという名の小さな集落がある。
カナシス海とキリ山に挟まれていて、街道からも大きく外れた位置にある、陸の孤島のような場所。
私はそこで生まれ育った。
鄙びた土地ではあったけれど、海と山の恵みを受けられて生活にはさほど困らなかった。人々は仲良く支えあって、日々を営んでいたわ。
父のヒノトは漁師、母のコトリは薬師だった」
「薬師……、って医官のことですよね? でも、神殿入りはしない、って」
この世界での医者は、薬草学に特化した神官、別名医官だとカインに教わった。当然、神殿入りして修行していないとその仕事にはつけない。
あたしの問いに、マユリさんは小さく首を振った。
「田舎に行けばいくほど、神官の数は少なくなる。場所によっては礼拝堂すらないの。私の邑もそうで、神官のいる町までは馬を四日も走らせないといけなかった。
そんな不便な場所では、薬師という仕事があるのよ。巫力のない者でも、医官から薬草学を学べば、医官に準ずる薬師になれるというわけ。
私の家は先読みとして、神官や巫女と同等の知識があったのだけど、邑内では薬師の家系ということにしていたわ」
新しい知識を脳内で反芻しながら頷いた。
「邑の人たちは私たちをとても大切にしてくれた。よく効く薬を煎じることのできる母は、薬師の家は邑には大事な宝だから、って。
私と、双子の姉のナユルも、随分可愛がってもらった。私たちはいずれ、母の跡を継いで薬師になるはずだったから。みんな優しくて、温かくて、邑全体が自分の家族のように思っていたわ」
マユリさんの視線は遠く、それは過去を懐かしんでいる色があった。
「あれは、私たちが十になったばかりのことだった。父の親友が、邑へやってきたの。
その人はジークといってシルヴァの父親なのだけど、近海で不認可の貿易をしたり、その、法に触れるような少し乱暴な交渉なんかを生業にしていて」
「海賊だ、海賊」
曖昧なマユリさんの言葉を、シルヴァさんがあっさりと片づけた。
顔を向けたあたしに、ふ、と皮肉っぽく笑って見せる。
「オレのオヤジは、そこいらの海を牛耳ってる海賊の頭だったんだ。元々はこいつのオヤジと同じ邑の出だったんだが、いかんせん血の気が多くてな。手に追えねえって追い出されたんだとよ。で、海賊業なんてのに手を出したんだそうだ」
「は、あ」
余りにも雰囲気の変わったシルヴァさんに、どうも慣れない。
しかし、海賊か。
山賊扱いのレジィのように事実と異なる訳ではなく、こちらは本当に、それが本業のようだ。
「人が気を使ってあげたのに、元も子もない言い方ね。ジークはそんなお仕事のせいで邑人からほんの少しだけ……疎まれてたんだけど、父とはすごく仲が良くて。こっそりやってきては、異国の珍しいお菓子や洋服なんかをお土産にくれたの」
シルヴァさんの衣着せない説明にくすりと笑ったマユルさんだったが、こほんと咳を一つしてから再び話に戻った。
「それで、私たちが十になったとき、いつものようにジークはやってきたのだけれど、その時持ってきた、いえ連れてきたのが一人の男の子だった」
「男の子、ですか」
「ええ。年は五つくらい。真白の肌に漆黒の髪。黒曜石の瞳を持つ、とても綺麗な男の子だった」
どくんと心臓が鳴った。その容姿にあて嵌る人間を、あたしは知っている。
カナシス海とキリ山に挟まれていて、街道からも大きく外れた位置にある、陸の孤島のような場所。
私はそこで生まれ育った。
鄙びた土地ではあったけれど、海と山の恵みを受けられて生活にはさほど困らなかった。人々は仲良く支えあって、日々を営んでいたわ。
父のヒノトは漁師、母のコトリは薬師だった」
「薬師……、って医官のことですよね? でも、神殿入りはしない、って」
この世界での医者は、薬草学に特化した神官、別名医官だとカインに教わった。当然、神殿入りして修行していないとその仕事にはつけない。
あたしの問いに、マユリさんは小さく首を振った。
「田舎に行けばいくほど、神官の数は少なくなる。場所によっては礼拝堂すらないの。私の邑もそうで、神官のいる町までは馬を四日も走らせないといけなかった。
そんな不便な場所では、薬師という仕事があるのよ。巫力のない者でも、医官から薬草学を学べば、医官に準ずる薬師になれるというわけ。
私の家は先読みとして、神官や巫女と同等の知識があったのだけど、邑内では薬師の家系ということにしていたわ」
新しい知識を脳内で反芻しながら頷いた。
「邑の人たちは私たちをとても大切にしてくれた。よく効く薬を煎じることのできる母は、薬師の家は邑には大事な宝だから、って。
私と、双子の姉のナユルも、随分可愛がってもらった。私たちはいずれ、母の跡を継いで薬師になるはずだったから。みんな優しくて、温かくて、邑全体が自分の家族のように思っていたわ」
マユリさんの視線は遠く、それは過去を懐かしんでいる色があった。
「あれは、私たちが十になったばかりのことだった。父の親友が、邑へやってきたの。
その人はジークといってシルヴァの父親なのだけど、近海で不認可の貿易をしたり、その、法に触れるような少し乱暴な交渉なんかを生業にしていて」
「海賊だ、海賊」
曖昧なマユリさんの言葉を、シルヴァさんがあっさりと片づけた。
顔を向けたあたしに、ふ、と皮肉っぽく笑って見せる。
「オレのオヤジは、そこいらの海を牛耳ってる海賊の頭だったんだ。元々はこいつのオヤジと同じ邑の出だったんだが、いかんせん血の気が多くてな。手に追えねえって追い出されたんだとよ。で、海賊業なんてのに手を出したんだそうだ」
「は、あ」
余りにも雰囲気の変わったシルヴァさんに、どうも慣れない。
しかし、海賊か。
山賊扱いのレジィのように事実と異なる訳ではなく、こちらは本当に、それが本業のようだ。
「人が気を使ってあげたのに、元も子もない言い方ね。ジークはそんなお仕事のせいで邑人からほんの少しだけ……疎まれてたんだけど、父とはすごく仲が良くて。こっそりやってきては、異国の珍しいお菓子や洋服なんかをお土産にくれたの」
シルヴァさんの衣着せない説明にくすりと笑ったマユルさんだったが、こほんと咳を一つしてから再び話に戻った。
「それで、私たちが十になったとき、いつものようにジークはやってきたのだけれど、その時持ってきた、いえ連れてきたのが一人の男の子だった」
「男の子、ですか」
「ええ。年は五つくらい。真白の肌に漆黒の髪。黒曜石の瞳を持つ、とても綺麗な男の子だった」
どくんと心臓が鳴った。その容姿にあて嵌る人間を、あたしは知っている。