黒き藥師と久遠の花【完】
 一口お茶をすすってから、おもむろにレオニードが立ち上がった。

「預けていた家のカギをもらえますか? よく眠れるよう、今の内に温めておきたいので」

「春が近づいたとはいえ、まだ寒いからねえ。ちょっとお待ち」

 ゾーヤはスカートのポケットをまさぐると、小さな銀色のカギを取り出し、テーブルの上に置いた。
 慌ただしくカギを手にすると、レオニードは「失礼します」と足早に外へ出て行った。

 扉が閉まるのを見届けた後、ゾーヤはフフフ、と笑い声を漏らした。

「あの子は相変わらず堅いんだから。身内なんだから、あんなにかしこまらなくても良いのにねえ」

「外でも真面目でお堅いヤツなのに、家でもあの調子なのか。ワシだったら、生きてるのが嫌になっちまうぞ」

 浪司の言葉に、ゾーヤは小刻みに頷いた。

「小さい頃からずっとああなんだよ。律儀というか、生真面目というか――。そこがあの子の良いところではあるんだけどね。……ところで晩のご飯はまだ食べてないのかしら?」

 尋ねられてみなもが頷くと、同時に浪司のお腹が盛大に鳴り響く。
 ゾーヤが「まあまあ」と笑みを浮かべると、立ち上がって台所へ向かった。

「食堂の料理も良いけれど、ヴェリシアの家庭料理も美味しいわよ。今すぐ作るから、お二人はゆっくりしててね」

 そう言うとゾーヤは鼻歌交じりで包丁を持ち、隅にあったカゴから芋などを取り出した。

 いいな、こういう光景。
 ふとそんな事を思い、みなもは目を細める。

 仲間と離れてからというもの、自炊したり、食堂で料理人の作った物を食べる事はあっても、家庭の料理をふるまわれる機会はなかった。
 もうハッキリとは思い出せない母の後ろ姿がゾーヤに重なり、わずかにみなもの胸が締め付けられた。

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