夏の空を仰ぐ花
あるひとつの約束を破ってしまったがために、太郎は白髪の爺さんになってしまう。


それから、彼は何を支えにどんな残りの人生をまっとうしたんだろう。


こんな事を言えば、それこそおとぎ話だけど。


もし、どこかで彼に会えたのなら、一度お話し願いたいものだ。


今のあたしならきっと、太郎の気持ちを理解してやれるんじゃないかと思う。


そして、彼もまた、あたしに同感し同情のひとつくらいしてくれるんじゃないだろうか。


なにせ、あたしは平成の浦島タロウ……いや、浦島ハナコになってしまったのだから。


もしくは、愚かで間抜けな、ネムリの森の姫、か。













「翠っ!」


どうも、この夏最大に大切な日の前日という、絶妙なタイミングで容体を急変し。


「翠! 翠!」


あたしは、今日まで、幾日も昏睡谷をうろうろと歩き回っていたらしい。


心地よい睡眠から目覚めるように目を開けて一番最初に飛び込んで来たのは、


「翠!」


涙と鼻水でぐっしゃぐしゃに濡れた、美しい母の顔だった。


「……な……んだ……少し……ふけたな、母」


あたしの第一声を聞くなり、母が慌てふためきながらナースコールを押した。


「はい、どうしました?」


「あああ、あの! 娘が……娘が、意識を戻しました!」


「今、行きます!」


枕元でナースの慌てた声が聞こえたのち、あたしは目をぱちくりさせた。


「……なんじゃ、こりゃ」


意外にも呂律回りが良く、視界も晴れていて、清々しいほどの目覚めだった。


あー、良く寝た! 、と昼寝から覚めた時のようにスッキリしていた。


けれど、やっぱり状況は把握できなかった。



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