ホワイト・メモリー
プロジェクトには問題がつきものだ。問題が起きないことが一番望ましいことは当然だが、そううまくはいかないのが現実というものだ。むしろ、コンサルタントの見せ場はそこにある。問題に対応できるかどうかで、コンサルタントとしての素質が問われるのだ。それにも関わらず、プロジェクトが安定しているときは偉そうにしているくせに、問題が起きると怖気づく者がコンサルタント業界には意外と多い。普段コンサルタントという肩書に身を隠している人間の本性が現れるのである。
今回の例はその典型である。所在不明という言葉を使って、問題を誇張し、「これは大問題です。我々にはどうしようもありません。助けて下さい」と言わんばかりだ。しかも、こういう人間が自分よりも上の肩書をもって仕事をしているというのだから理不尽な話だ。
功の怒りはどんどんヒートアップする。自分の肩書が低いということに対する怒りなどではない。できることを平気で「できない」という人間に対する怒り、それによって犠牲になる人たちを思いやれない人間に対する怒りである。
どうしてわからないのだろう。「できます」といって困難に立ち向かうことはかっこいいではないか。困っている人たちを思いやって助けることは美しいではないか。むしろそう考える方が人間として自然なのである。そうすべきことを、素直にそうすることは、自然で、かつ楽なのである。
彼等は楽な道を選んでいるつもりで、実はそうではない。できることをできないと言ってしまったことに対する後悔や葛藤に苦しむことになるだろうし、犠牲となるクライアントからの信用もなくなるだろう。そしてさらに苦しむことになる。災難はドミノ倒しのように襲ってくるのだ。良い仕事が取れなくなり、会社からも評価されなくなる。精神的にも経済的にも苦しむことになり、自分以外の家族や友人にも影響が及ぶ。功には、そうなることが手に取るように分かる。絶対にそうなる。
功は困難と闘うことが好きである。好きであるし、そうすべきだし、そうした方が楽だから、そうするのである。そういう功を周囲の人間は「ストイック」と表現するが、そうすべきことを、敢えてそうはしないというひねくれた人間の方がよっぽどストイックだと功は思う。
今回の例はその典型である。所在不明という言葉を使って、問題を誇張し、「これは大問題です。我々にはどうしようもありません。助けて下さい」と言わんばかりだ。しかも、こういう人間が自分よりも上の肩書をもって仕事をしているというのだから理不尽な話だ。
功の怒りはどんどんヒートアップする。自分の肩書が低いということに対する怒りなどではない。できることを平気で「できない」という人間に対する怒り、それによって犠牲になる人たちを思いやれない人間に対する怒りである。
どうしてわからないのだろう。「できます」といって困難に立ち向かうことはかっこいいではないか。困っている人たちを思いやって助けることは美しいではないか。むしろそう考える方が人間として自然なのである。そうすべきことを、素直にそうすることは、自然で、かつ楽なのである。
彼等は楽な道を選んでいるつもりで、実はそうではない。できることをできないと言ってしまったことに対する後悔や葛藤に苦しむことになるだろうし、犠牲となるクライアントからの信用もなくなるだろう。そしてさらに苦しむことになる。災難はドミノ倒しのように襲ってくるのだ。良い仕事が取れなくなり、会社からも評価されなくなる。精神的にも経済的にも苦しむことになり、自分以外の家族や友人にも影響が及ぶ。功には、そうなることが手に取るように分かる。絶対にそうなる。
功は困難と闘うことが好きである。好きであるし、そうすべきだし、そうした方が楽だから、そうするのである。そういう功を周囲の人間は「ストイック」と表現するが、そうすべきことを、敢えてそうはしないというひねくれた人間の方がよっぽどストイックだと功は思う。