ホワイト・メモリー
翌朝、功は早くに家を出た。品川の本社に戻って、青田物産の件を田口に相談するためである。確かに、あのメールのCCに功の名前がなければ、こんなことに巻き込まれることはなかったのだが、「たら」「れば」を言い出したら人生はきりがない。そう自分に言い聞かせて、自分自身を説得するのに一晩を要した。
もうこうなってしまったものは仕方がない。自分はやるべきことをやるだけなんだ。ただそれだけだ。難しく考える必要はない。
田口の朝は早い。功はそのことを知っていたので、前もってアポはとらなかった。コンサル事業部のセクションのメインストリートの一番奥に田口のデスクがある。功は、入口の扉の横に設置してあるカードリーダーに社員カードを通した。ピーと甲高い音が鳴る。通勤ラッシュ前のこの時間帯、その音はフロア全体に響き渡った。
田口は朝刊に目を通しているようだ。功はメインストリートをまっすぐ田口の方へと歩いた。オフィスには、功が歩く足音と、田口が新聞をめくる微かな音しかなかった。
その静けさが余計に田口のデスクを遠く感じさせる。自然に早歩きになった。

「部長すみません」

田口は新聞から半分顔を出すと、眼鏡を少し下にずらして、上目づかいで功を見た。上目づかいといっても若い女がするそれとはまったく違うものだ。この場に及んで何を考えているのかと功は自分をおかしく思った。

「おいおい、まずはおはようの挨拶だろ」
「あ、失礼しました。おはようございます」
「おはよう。それで要件は何かね」

田口は再び視線を新聞の方に向けた。功がなぜここに来たのかまるで分かっていないようだ。
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