ホワイト・メモリー
そのとき、ピーという音とともに、入口の扉から出社した社員が数人入ってきた。オフィスはいつもの空間に戻ろうとしている。
田口は黒革の分厚い手帳から一枚破いて、すばやく6F/HANAと書いた。それから机の引き出しからブルーのカードを取り出して、その紙と一緒に功に差し出した。

「あそこは休日でもこのカードがあれば入れる。土曜日の九時に向かいなさい。六階の“花の部屋”に行けば誰かいるだろう。そこが我々の作業場所だから」

功の曇った心に太陽の光が差し込んだような気がした。

「はい。ありがとうございます」

功は紙とカードを受け取り、すぐに仕事に戻るつもりだったが、念のため確認してみた。

「九時って、朝の九時ですよね」
「そんなことを確認するのは君くらいだ。当たり前だろ」
「そうですよね。ありがとうございます」

功は軍人が回れ右をするように体の向きをくるっと替え、再びメインストリートを歩いて戻った。もう既に結構な数の社員が席についてメールチェックなどをしていた。「あいつは朝早くから田口部長と何を話していたのだろう」という顔をして、功を見る者もあったが、それは悪い気分ではなかった。日本の政府のような君たちとは違うんだと言わんばかりに、功は堂々と歩いた。扉を出ようとしたとき、田口が大きな声で功を呼び止めた。

「おい、小林」

この会社では、小林と呼ばれて振り向くのは功だけである。

「はい、なんでしょうか」

功も大きな声で答えた。

「俺の机の上からこの汚いメモをどうにかしてくれ」

田口はひらひらと功のメモを片手に持って、メインストリートの向こうに立っていた。功は、さっきメモを取り出したときに開けたバックのチャックを手で触って確認し、顔を赤らめて、こんどは走ってメインストリートを戻った。

「これがないと困るんだろ」
「あ、はい」

田口はメモを功に渡し、その功の手の甲のあたりをぽんと軽く叩いた。クスクスと笑い声が背中の方から聞こえていたが、功は田口の激励の合図だけで十分だった。
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