山あり谷あり谷あり…そして…
幼少時代

母は男を選んだ…

この世に生まれたとたん、いきなりウチの人生はオモロイ人生の始まりとなりました。

黄疸がキツく、未熟児の為に、全身の血液を入れ替え、硝子のケースに入れられていました。

物心が着いた頃、両親は毎日喧嘩…

ウチの頭の上を、茶碗が飛び交い、父は包丁を母に…

夫婦喧嘩の〆に
『お前がおるからや!』
と、いつも罵声をあびせられ、一間しかない家の隅っこで、毎日涙していました。

間もなく、幼稚園へ行けると言う頃、母は、ウチの手を引き父の元から逃げる様に、家を出ました。

電車に乗り…歩き…船に乗り…又、歩き…

四国にたどり着きました。

四国の生活では、24時間、母の顔を見た記憶がありません。

近くの、ビニールハウスに行き、トマトやピーマンを貰い空腹を凌いだり、近所のおばさんに卵焼きを食べさせて頂き、生活していました。

行けるはずの幼稚園に行けるはずが行けなかったのもあり、近くで見つけた幼稚園に、遊びに行ったりしてましたが、先生に

『遊びに来てはいけない!』と

叱られました。
凄く、寂しくて…悲しくて…なんでウチだけ?辛くて、泣きながら当てもなく、ただただ…歩き続けてました。

友達を作りたく、同世代位の子供に声を掛けたら、その親に

『あの子悪いから、遊んではダメ!言葉が悪い!』

単なる大阪弁なだけなのに…

親も傍にいない…友達もいない…一人ぼっち…

何故かそんな日々が続く中、母が自転車
にウチを乗せ、車道しかない一本道を走り出し、こけてしまった後に一言

『何で車にひかれへんのぉ〜?』

痛い涙より必要とされていない悲しさで涙が止まらなかった…
たどり着いたのは病院。待ってなさい!の言葉に、時間を弄んだ時目にしたのは、知らない男の人を看病している母親の姿…帰宅時に母から

『幸せになりたいから、アンタが邪魔やねん!お父さんの所に帰り!』

翌日、又船に乗り…歩き続け、父の会社の最寄り駅に着き、そこから、一人タクシーに乗せられ、子供乍の記憶で父の会社に到着。偶然父が目の前に…

何度も何度も…ウチの名前を呼び、力強く抱きしめてくれました。

その日から、大阪の生活が再び始まりますが、家族の温もりを感じる事が出来るのでしょうか…
不安なスタートが…

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