ヒートアイランド
助走
 始めに断っておこうと思う。この物語に結末はない。……いや、結末と呼べる終わりがないと言うべきなのだろうか。

私はそもそも、物語というものに終わりがあることにずっと疑問を抱いていた。つまり用紙に限度が、インクに残量が、同じように作者の体力にも、読者の忍耐力にも限界値というものは、さも当然のように存在しており、無駄なことまで細かくつらつらと書き殴っていては一向に話は進まない。

 英雄談で例えるなら、敵の親玉を倒して世界が平和になった後の英雄の私生活に誰が興味をそそられる?

ぐだぐだと何を……とは言わないで欲しい。私だってこんなことを書いているのは本望じゃない。ただ……そうだな、これは私なりのささやかな反抗というやつなのだろう。こんなことをさせているアイツへの、ささやかな。

敷かれたレールの上を走るのは、列車かカーテンくらいで充分だ。私はそう思っている。

 もっとも私だって未来ある若者なのだけれど、選択の自由をみすみすドブに捨てるほど、そこまで人生に苦労も絶望もしてはいない。……謳歌もしてはいないのだけれど。

とにかく、結局何が言いたいのかといえば、私が体験したここ最近の話をまとめてみようと思っている。ただ私は神様でも仏様でも、誰かと違って悪魔でもないので、書き綴れる事柄にも限界がある……ということを言いたいのだ。

 まぁ背景・風景描写だけ事細かに数十ページに渡り書き記してもいいのなら別なのだけれど、別に私が望むわけじゃあない。

 日常なんて曖昧模糊としている方がいいじゃない。

さて、とりあえず冒頭に戻るけれど、私がここでこうして思い出を文字にしているということは、私達の日常はこの瞬間にもじわじわと過ぎていっているということであり、この物語が終わりという形を拒んでいるということ。

だから私がこんな慣れないことをするはめになっているのだけれど。

人の物語は終わらないという。それは例え死んでからも、連綿と綴られていくものだから。

前振りが長くなったので始めよう。そろそろちゃんと書かないと本当に内容が曖昧になりそうだから。

 さて、あれは何日前だっただろうか。

詳しい説明文を一切省いて簡潔に伝えるなら、そうだな――私達は楽しく遊んでいた。
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