ブルーローズ ~私が死んだ理由~
7.登校拒否
 その日、私は朝起きるのが面倒くさくて仕方がなかった。生来、朝が苦手な上、学校での事を考えると眠たい目をこすってまで行く気にはなれなかった。
 仮病の誘惑に負けて、体温計を何度も絨毯に擦りつけては、不自然にならぬよう細心の注意をはらい、そうして得た中学最初のズル休みは罪悪感でいっぱい。風邪を装うなら数日続けて休む事も出来たのに、翌日は登校し、前日の欠席を気にかける周囲の意外な反応に、以後、1日置きに学校を休むようになる。
 母はすぐに仮病と見抜き、病院での診察を強要。私は医師に仮病がバレるのを恐れ、わざと大袈裟にセキをしては、ノドに炎症を作ろうと試みた。その日は運良く生理前で体温が高く、風邪と診断される。
 これはズル休みではなく、今の自分に必要な休息なのだと心に言い聞かせても、何も知らない家族から見れば、私はただの怠け者。
 「お前は学校に行くのが仕事だ!!」
祖母の口癖が頭から離れない…

 それまでの自分は、周囲の人達にとって扱いやすい存在。それ故、反発心を知らず、「○○しろ、○○しちゃいけない」と言われたら、理由も考えずに従うだけの従順な奴隷として生きてきたように思う。思春期という年代は、正にその変転期だった。
 その年のある日、私は無断で学校を抜け出し、周囲を心配させる。それもまた1つのトラウマが原因だった。規則に忠実な人間としては“無断”という行為に多少戸惑いを感じつつも、自分1人のミスで班員に迷惑をかけ、いつかのようにまた「クサソウのせいで…」と名指しで責められるのが怖かった。
 当時、給食当番はマスクを忘れるともう1週間やらなければならない事になっていて、自分が再びマスクを忘れた事に気付いたのが3限の美術の真っ最中。以前、日直の際に遅刻を名指しで責められた事を思い出し、さんざん取りに行くか悩んだ末の実行だった。学校から家までは歩いて15分。最短距離を走って行けば、ギリギリ間に合うはず。服も本もごっちゃの中から探すのは一苦労。自転車で戻った頃には、既に授業開始から5分が経過していた。
 廊下で絵の具を洗う生徒に混じって教室に入るはずが、予想外の事態である。廊下には人っ子ひとりいない。今、教室に入れば確実に注目をあびる事になるだろう。
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