ブルーローズ ~私が死んだ理由~
 母は倒れる前、「忍がルームシューズを編んでくれるって」と彩に勝手に約束してしまい、入院中もコップや箸を入れるのにチラシで作ったカゴを持って行ったら、これが皆に好評で、結局、カゴまで大量注文を受けてしまい、それを「早く、早く」と母に急かされるたび、忙しさの中に憎しみに似たイラ立ちを感じた。
 入院6日目、車イスでの移動が可能になり、言葉も大分聞き取れるまでに回復。公共料金の支払いが差し迫る中、保険証と通帳は未だ見つからず。母の言うベッドをいくら探しても見つからず、本人も首をかしげるばかり。
 医師からは一般病棟への移動許可が下りるが、空き部屋がない事から保留へ。
 同日、婦長から母を看護学生の実習相手に指名したいと相談される。実習生なら、私と同い年くらいか…。
 日頃、ズボンで生活していた母はワキも足のすね毛も無処理で、はだけた病衣の間から長く濃い毛がチラリしている姿を、私はずっと気になっていた。体型もムダ毛も、見ためを1番気にする10代・20代の若者なら、母をからかいの対象として見る者もいるかもしれない。若い看護婦には何となく抵抗があった。母もまた「若い子にパンツを上げ下げしてもらうのは嫌だ」との意見から、この話は辞退。内心、私もホッとする。
 7日目、リハビリ開始。リハビリ室への送迎は、母の希望により、私が担当する事に決定。以後、リハビリ時間より前に病院に来る事を余儀なくされる。
 翌日はちゃんとリハビリ前に到着し、母から一般病棟へ移ったと知らされた。2人部屋で、同室患者は便秘で腹が痛いらしく叫んでいた。食事もベッドから廊下のテーブルで食べれるようになったとかで、その日は私がリハビリ室まで連れていく。
 その2日後、言語リハビリ開始。入院12日目にして、杖つき歩行が可能になる。この間、目の前の病室でバイク事故で入院した若者が昼夜問わず大声をあげる事から、同室患者の事もあり不眠を訴え、再び部屋を移動。今度の病室は、私にとっては居心地の悪い6人部屋だった。
 それから間もなくして保険証も無事見つかり、17日目以降、親指から手も徐々に動かせるようになる。トイレも1人で行けるようになった。
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