ブルーローズ ~私が死んだ理由~
この頃になると、連日の看病に疲労が出始め、朝起きるのがつらくなった。祖母に「まだ起きないの? お前は行く気がないのか!!」と怒鳴られるたび、朝から嫌な気分になる。
それでも支度をして家を出れば、結局、バスに乗り遅れ遅刻。それならそれでリハビリ室への移動は看護婦がいるから問題ないのだが、母は「間に合うように来なきゃ、お前のいる意味がない」と言って、話しかけても一切無視。
「リハビリは済んだから用はない。帰れば?」
ムカッとして、帰ろうと思った。でも、何とか自分を落ちつけて、その日は夕方まで居座り続けた。帰りは気分的に歩いて帰宅する。
24日目、腕・全指の動作を確認。バス代節約のため、1時間かけて自転車で通うようになる。
28日目、階段での自主的な歩行練習。地下1階から6階まで往復制覇。
入院からちょうど1ヶ月目の2月11日 午前10時より外泊。入院中、母の部屋は祖母の手により物置と化していた。知人が次々と見舞いに訪れる中、てんやわんやで13日 午後5時にて外泊終了。退院まであと一歩だ。
翌14日には1人で自由に院内を歩く事が認められ、この日からリハビリも付き添い人なしで行く。
それまでは私が母に付き添い、リハビリ終了までの待ち時間に見る束の間の幻想が、自分を癒す唯一の方法だった。好きな男に寄り添うように、ただの白い壁にもたれながら、「いい子、いい子」と自分で自分の頭を優しく撫でる。愛されたいと願いながら、何度、こうして感情をごまかしてきただろう。
母が1人でリハビリ室に行くようになると、私も時間を気にせず通えるようになった。そうして私の仕事は、母の飲む麦茶を空のペットボトルに入れて病室へ運び、洗濯物を持ち帰り、母がリハビリから戻って来るまでの間、ベッドをカーテンで仕切って過ごした。
それから少しして退院の話があり、母は看護婦に「退院が決まったら教えて」と頼んでいたようだが、本人には何も告げられず、まるで内密に事が進んでいるかのようにトントン拍子で、翌日には家族に退院の説明、2月23日、めでたく退院の日を迎える。
帰宅してすぐ、また祖母が妙な事を言い出した。
「もう少し入院させとこうと思ってたのに、きっとウチが入院費も払えないような貧乏人だとバカにしているんだ。だから、婦長が追い出したんだ」
それでも支度をして家を出れば、結局、バスに乗り遅れ遅刻。それならそれでリハビリ室への移動は看護婦がいるから問題ないのだが、母は「間に合うように来なきゃ、お前のいる意味がない」と言って、話しかけても一切無視。
「リハビリは済んだから用はない。帰れば?」
ムカッとして、帰ろうと思った。でも、何とか自分を落ちつけて、その日は夕方まで居座り続けた。帰りは気分的に歩いて帰宅する。
24日目、腕・全指の動作を確認。バス代節約のため、1時間かけて自転車で通うようになる。
28日目、階段での自主的な歩行練習。地下1階から6階まで往復制覇。
入院からちょうど1ヶ月目の2月11日 午前10時より外泊。入院中、母の部屋は祖母の手により物置と化していた。知人が次々と見舞いに訪れる中、てんやわんやで13日 午後5時にて外泊終了。退院まであと一歩だ。
翌14日には1人で自由に院内を歩く事が認められ、この日からリハビリも付き添い人なしで行く。
それまでは私が母に付き添い、リハビリ終了までの待ち時間に見る束の間の幻想が、自分を癒す唯一の方法だった。好きな男に寄り添うように、ただの白い壁にもたれながら、「いい子、いい子」と自分で自分の頭を優しく撫でる。愛されたいと願いながら、何度、こうして感情をごまかしてきただろう。
母が1人でリハビリ室に行くようになると、私も時間を気にせず通えるようになった。そうして私の仕事は、母の飲む麦茶を空のペットボトルに入れて病室へ運び、洗濯物を持ち帰り、母がリハビリから戻って来るまでの間、ベッドをカーテンで仕切って過ごした。
それから少しして退院の話があり、母は看護婦に「退院が決まったら教えて」と頼んでいたようだが、本人には何も告げられず、まるで内密に事が進んでいるかのようにトントン拍子で、翌日には家族に退院の説明、2月23日、めでたく退院の日を迎える。
帰宅してすぐ、また祖母が妙な事を言い出した。
「もう少し入院させとこうと思ってたのに、きっとウチが入院費も払えないような貧乏人だとバカにしているんだ。だから、婦長が追い出したんだ」