道摩の娘

 かちゃん、と音がした。

 その音で、りいは自分が箸を取り落としたのだと気付く。

 だが、そんなことにはかまっていられない。

「真鯉殿。それは…それは、晴明の…」

「…ただの、昔話にございますわ」

 真鯉は慈愛に溢れた笑みを見せた。

 そのまま、真鯉はりいが落とした箸を拾い、手際よく食器を片付けて立ち上がる。

 立ち去ろうとした真鯉を、りいは引き止めた。

「あのっ!…晴明は今、寮に…!?」

 真鯉はにこりと微笑んだ。

「ええ」


 今度こそ真鯉が立ち去り、りいは慌てて身を起こした。

 寝間着を脱いで、色もよく見ずに衣をつかみとった。

 何がこんなに自分を急き立てるのかわからなかったが、いてもたってもいられなかった。

 藤影が小さく鳴いて、木札に戻った。

 藤影の札を懐につっこみ、刀を差すと、りいは駆け出した。


 人間からは奇異の目で見られ、あやかしからは憎悪される。

 それは、…居場所がないも同じではないか。

 人を喰ったような性格になるのも当然だ。

 むしろまともに育ったほうだと言えよう。

『俺は一人で大丈夫』

 いつかの、晴明の言葉が脳裏をよぎる。

 晴明にとって、自分の正体は忌まわしいものかもしれない。

 それを…それなのに、りいのために、本性をさらしたというのに。

(私は何を迷っていたんだ…!)


 あの時の、晴明の泣き笑いのような表情が脳裏にちらつく。

 それに、幼い晴明の姿が被って見えた。

 必死に泣くのを堪えている、小さな晴明が。


 行かねば、と思った。

 晴明に、伝えなくては。

 拒絶などしないと。

 恐れなどしないと。

 りいは無我夢中で安倍邸を飛び出した。
 
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