道摩の娘
 狭い部屋の中、お互いの息遣いと、筆が走る音だけが響く。

 晴明が言った通り、りいに渡された書類は簡単な作業だけで済むものだった。

 だが、晴明の評判を下げるわけにはいかないと、細心の注意を払って仕事を進める。


 やがて、あたりが薄暗くなる頃、部屋の入り口に何者かの気配がした。

「…おや、これは珍しいこともあるもので」

 戸口には、若い陰陽師が立っている。

 上品な直衣を着こなすところを見れば、それなりの家の子息だろう。

「…お久しぶりです、高殿」

 晴明が顔を上げて、微笑んだ。感情のこもらない笑顔だ。

「天童の安倍殿には我等と同じような仕事などつまらないのでしょうな、幾日ぶりにお会いしたことか」

「…俺はただ書類仕事が苦手なだけですよ」

「夜な夜なふらふらと歩き回るのはお得意のようだが」

 …底冷えがする。

 りいは思わず目を背けた。

 天一と晴明のやり取りは、得体の知れなさが恐ろしく感じられた。

 だが、眼前の応酬は…刺々しい悪意に満ちている。


「…それも、俺の仕事ですからね」

 晴明は笑みを崩さぬまま答える。

「高殿は灯火ありがとうございます。灯油だけ頂けますか」

 高と呼ばれた青年陰陽師は黙って灯油の皿を置く。

「ああ、ご注文の符は書き上がっていますよ。大した量ではありませんでしたから。わざわざ俺に寄越すまでもありませんよ、高殿?」 

 晴明は机の端から符の束を取り上げて見せる。

 高は露骨に顔をしかめた。

「…それは、ご苦労」

 苦虫を噛み潰したような顔で、符を受け取り、足早に去っていく。

 それを見送って、晴明がふう、と息をついた。
< 130 / 149 >

この作品をシェア

pagetop