道摩の娘
◆
美しい十六夜の月。
その下で、一人盃を傾ける男がいた。
厳つい外見だが、表情は優しい。
安倍家の家長、安倍保名である。
さほど酒に強いわけでもないのだが、月の美しい晩は必ずこうして月の下で呑むことにしている。
亡くなった妻が愛した月の下。
「葛…」
ほとんど聞き取れないほどの声で、保名は妻の名を呼んだ。
「葛、見ているかい…晴明はずいぶん君に似てきたよ」
まだ少年といっていい年頃だが、有能な陰陽師である息子は、近頃仕事で寮に詰めている。
この日、久々に帰宅した息子は驚くほど亡き妻に似ていて、保名は思わず声をあげそうになった。
「…晴明は、たまにすごく優しい目をするようになった。あの子、この間まで表面はにこにこしてても冷めた目ばかりしていたんだ。だからだろうな…今日、晴明の笑顔は本当に君とそっくりで驚いたよ」
保名は目を閉じる。
もう何年も見ていないのに、瞼の裏には、はっきりと妻のあたたかな笑顔が浮かぶのだ。
「友達ができたんだ。同い年くらいの、いい子だよ。今日はその子があやかしとの戦いに巻き込まれたって言って、その子を背負って帰って来たんだ。陰陽寮にも戻らないで」
恐らく今も息子は友人の枕元に座り続けているだろう。
「出血が酷かったけど、幸い大した怪我じゃなかった。…って、晴明にも言ったんだけどね。だけど、なんかさ…親として、嬉しいよ」
息子はあまりの陰陽の才ゆえに、畏怖と好奇と妬みに曝されて育った。
心を開くのは父と師と兄弟子だけ。そんな中でよくたくましく育ってくれたものだとは思うが、やはり息子に友達ができたと思うと格別の念がある。
「…ああ、そうそう、その友達っていうのがね…」
保名は盃に酒を継ぎ足し、なおも妻に語りかけつづけた。
「あなた、弱いくせに呑み過ぎよ」と、よく盃を取り上げた妻を懐かしく思い出しながら。
美しい十六夜の月。
その下で、一人盃を傾ける男がいた。
厳つい外見だが、表情は優しい。
安倍家の家長、安倍保名である。
さほど酒に強いわけでもないのだが、月の美しい晩は必ずこうして月の下で呑むことにしている。
亡くなった妻が愛した月の下。
「葛…」
ほとんど聞き取れないほどの声で、保名は妻の名を呼んだ。
「葛、見ているかい…晴明はずいぶん君に似てきたよ」
まだ少年といっていい年頃だが、有能な陰陽師である息子は、近頃仕事で寮に詰めている。
この日、久々に帰宅した息子は驚くほど亡き妻に似ていて、保名は思わず声をあげそうになった。
「…晴明は、たまにすごく優しい目をするようになった。あの子、この間まで表面はにこにこしてても冷めた目ばかりしていたんだ。だからだろうな…今日、晴明の笑顔は本当に君とそっくりで驚いたよ」
保名は目を閉じる。
もう何年も見ていないのに、瞼の裏には、はっきりと妻のあたたかな笑顔が浮かぶのだ。
「友達ができたんだ。同い年くらいの、いい子だよ。今日はその子があやかしとの戦いに巻き込まれたって言って、その子を背負って帰って来たんだ。陰陽寮にも戻らないで」
恐らく今も息子は友人の枕元に座り続けているだろう。
「出血が酷かったけど、幸い大した怪我じゃなかった。…って、晴明にも言ったんだけどね。だけど、なんかさ…親として、嬉しいよ」
息子はあまりの陰陽の才ゆえに、畏怖と好奇と妬みに曝されて育った。
心を開くのは父と師と兄弟子だけ。そんな中でよくたくましく育ってくれたものだとは思うが、やはり息子に友達ができたと思うと格別の念がある。
「…ああ、そうそう、その友達っていうのがね…」
保名は盃に酒を継ぎ足し、なおも妻に語りかけつづけた。
「あなた、弱いくせに呑み過ぎよ」と、よく盃を取り上げた妻を懐かしく思い出しながら。