道摩の娘
「それも、そうなんだけどさ…、ッ!?」

 不意に晴明が辺りを見回した。

「何かきたのか!?」

 怪異に対して晴明の感覚は、りいに比べずっとすぐれている。

 りいには何も感じられず、晴明の様子を見つめるだけだ。

「りい、ここ、頼んでいい?」

 口早に晴明が言う。りいが返事もしないうちに畳みかけた。

「藤影がいれば結界張れるよね?たぶん大丈夫だとは思うけど、」

「待て、大丈夫なら私も…」

「陰陽師が大貴族の警護放り出したら問題でしょ?」

 言うが早いか、晴明は地を蹴り、あっという間に塀を超えた。


 残されたりいはひとり唇を噛む。

 わかっている。りいの腕は晴明に比ぶべくも無い。しかも手負いときている。

 足手まといだとはわかっている。

 いっそそう言ってくれればいいものを。

(私にひとりで戦うなというなら…お前だってそうだろう)

 やり場のない憤りと悔しさが胸のうちに燻る。

 懐で、藤影を封じた木札が震えた。

「藤影…。ああ…そうだな。私も今できることをやらないと」

 頭を振って雑念を追い払い、りいは庭を駆けた。


 幸い、残りの結界に綻びはほとんどなかった。

「念のため、もうひとつ張っておくか」

 万尋が来るとすれば、当然あやかしを出したままにはしないはず。もしかすると結界もすり抜けるかもしれない。

 ならば、と、藤影の力を借りて少し変わった結界を張っておく。

 どうせ気休め程度なのは百も承知。

 だが、できるだけのことはしておきたかった。


「利花殿?」

 庭が騒がしくなったのに気付いたか、老爺が顔を出した。

 見覚えのある顔だ。佐藤といったか。

「いえ、ここはしばらく大丈夫でしょう。晴明…えー、主は今、強い妖気を感じたらしく、そのもとを辿っております」

 これまでの経緯をかいつまんで説明していると。

 藤影が急に肩に舞い降りた。同時にぞわり、と、背筋が粟立つ。

(なんだ、これは――――!)

 術師としてはかなり鈍いりいでさえ感じる力。

 たしかに、晴明が走り去った方向だ。

「…失礼ッ」

勝手に体が動く。りいはまともに暇も告げずに走り出した。
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