秘密





携帯をポケットにしまうと、手を伸ばし、奏を引き寄せ、細い身体をギュッと抱き締めた。

名残惜しいが帰らねば。

最後の悪あがきだ、許せ、奏。

「…さ…佐野君?」

「ん?」

「……バスケの練習…膝、無理してない?」

「ああ…あの位、平気平気。中学ん時の練習に比べたら、遊びみたいなモンだ」

「…ホントに?」

「うん…」

奏の頭に頬をすりよせ、ゆらゆらと小さく揺れながら、奏の温もりを身体中で感じていた。

…ずっとこうしていたい…

………………!

……おっと。

また復活してしまう。

……ホントに帰ろ…


奏から身体を離し、バッグを担ぎ直すと、奏の頭を撫でる。

「…帰るよ」

「…うん」

頭を引き寄せ、奏のおでこに軽くキスした。

ごく自然にこんな事をしてしまった。

奏を前にすると俺は色々と抑えがきかないらしい、はは。

それだけ奏の事が好きだと言う事だろう。

いっそ好きだと言ってしまいたい時もあるけど、それを言ってしまったら、この関係が終わってしまうんじゃないかと思ってしまって、怖くて言えない。

でも奏の様子を見る限り、俺に好意を寄せてくれているのは間違いないと思う。

必ず手に入れたい奏。
焦らず慎重にやっていこう。

とか思っているのに、今日は暴走しかけたけどね…


「また明日」

「…うん。明日…」

奏に見送られ、玄関を開け外に出る。

辺りはまだ薄暗く、少し生暖かい風が夏の始まりを意識させる。

まだ5月半ばだと言うのに、今日は半袖でも充分に過ごせた。

アパートの階段を降りていると、中年の男がすれ違いざまに「今晩は」と軽く会釈してきた。
挨拶されたら返すのが当然だろう。

「…今晩は」

俺も軽く頭を下げ、階段を降りる。

…ん?今の人って…

男の背中を目で追っていると、奏の家ドアを開けて「ただいま」と言って入っていった。

……危機一髪じゃん。

後2、3分帰りが早かったら…

玄関先での熱い抱擁を、奏の父親に見られてしまう所だった…

…危ない危ない。

きっと奏も今頃そう思っているに違いない。

ははは。



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