東日本大震災・宮城より
毛布と上着数着を持って家を出た頃、雪が降って来ました。
両手が使えなかったので、傘を持てずに走って戻りました。
戻ると、まだみんな中に入れず、何人か持って行った物を羽織り、寒さをしのぎました。
その間にも、余震が度々来ます。
待っている間に、翌日12日の予定が気になり始めました。
地元の某サッカーチームのボランティアをしていて、12日はホーム開幕戦の予定でした。
ほぼ満員のスタジアムで試合がある予定で、いろいろ計画されていました。
担当の方へ電話が繋がらないのでメールを送ると、数十分後、『明日は中止です。知り合いのボランティアさんへ連絡お願いします』と返信が来ました。
いつ携帯メールが繋がらなくなるか分からないので、連絡が取れるうちに、知っている限りのボラ仲間へ『明日は中止』のメールを送りました。
そんな事をしているうちに、中のガス漏れ等の安全確認がやっと出来て、数名ずつ中に入って自分の荷物等を取りに行く事が出来ました。
そして、帰れるようになった人から、随時帰宅して行きました。
両手が使えなかったので、傘を持てずに走って戻りました。
戻ると、まだみんな中に入れず、何人か持って行った物を羽織り、寒さをしのぎました。
その間にも、余震が度々来ます。
待っている間に、翌日12日の予定が気になり始めました。
地元の某サッカーチームのボランティアをしていて、12日はホーム開幕戦の予定でした。
ほぼ満員のスタジアムで試合がある予定で、いろいろ計画されていました。
担当の方へ電話が繋がらないのでメールを送ると、数十分後、『明日は中止です。知り合いのボランティアさんへ連絡お願いします』と返信が来ました。
いつ携帯メールが繋がらなくなるか分からないので、連絡が取れるうちに、知っている限りのボラ仲間へ『明日は中止』のメールを送りました。
そんな事をしているうちに、中のガス漏れ等の安全確認がやっと出来て、数名ずつ中に入って自分の荷物等を取りに行く事が出来ました。
そして、帰れるようになった人から、随時帰宅して行きました。