forget-me-not







と、ひゅるり、あさっての方向へ視線を切り替えた夜くん。

まるで私の姿なんか目にしなかったようにロングコートを翻し、どこかへ行ってしまう。



(…あ、待っ、)



「先輩?」


かけられた新戸くんの言葉にまともな返事を返すこともできず、遠ざかる夜くんの後ろ姿を見つめていた。












「あの人、誰なんですか?」

『いや、あの……』


直球を投げられて、口ごもる。

この状況を夜くんに見られていた、というだけでも動揺してしまうのに、まして“黒川夜”の説明なんて……

いつ訊かれてもそんなの、上手く答えられない。




『それは、その……』


人間じゃないらしいよ、じゃなくて、お隣さん、もまた違うし……




「ふ、先輩はあの人のことが好きなんですね」

『へ、?』

「焦らなくたって、いいですよ?――俺は何も、変わりません」


相変わらず可愛いけれど落ち着いた声で、新戸くんは私を見下ろす。

私が夜くんを好き……?どこでどう、その見解にたどり着いたというのだろう。



(…夜くんを、)



――――スキ?



あの夜のキスの感覚を思い出して、否応なしに頬が染まる。

思えばキスをしたのはいつぶりだっただろう。どんな相手とだってキスだけはしなかった。

それがギリギリの、私の防御ラインで――



(…あの時が、最期だ)



神谷とした、あのキスが。












「先輩、」

『……』

「俺はただの真っ白いシーツじゃないってことだけ、覚えておいてください」


ぐるぐる廻る頭を抱えていれば、新戸くんの穏やかな声が降りかかる。



(…あ、)



その意味を理解する間もなく、彼は踵を返し、ラケットを手にして着替えに走っていった。










< 129 / 275 >

この作品をシェア

pagetop