forget-me-not
「信じられないよ。僕は…。案外キミの言うとおりなのかもしれない。いままで恐れなんていう感情、かんじたことがなかったから」
いつだって不動だった夜くんの精神とその自信にあふれた態度は、いつになく隙間だらけのようにみえた。
振り向いたその表情を、目の色を、口許を、もっと感情という目に見えないもので動かしたい衝動に駆られた。
「感情というものは、考えていたよりも、もつのに勇気がいることなのかもしれないね」
私たち人間にはごく普通の当り前でも、夜くんはいま、それはそれは未知の体験をしているのかもしれない。誰だって、体験したことのない事柄に畏怖するのは当然のことだ。
『夜くん…』
「…」
『大丈夫だよ。夜くんなら、もっともっといろんなことを感じられるよ。それでうまく、コントロールしていける』
あの黒川夜が恐怖を感じている。
このありえないような状況に、私はキスされたことよりも、首を絞められたことよりもずっと、戸惑った。同時に、安堵に似た気持ちが起こったのも事実で。
夜くんが感情を実感してくれたことが、うれしかった。
(…まもってあげたい)
私にとっては歯の…、いや言葉にはしていないのだから脳が浮くようなセリフがうかんだのも、本当だ。
だって、このときの彼は、とても弱くて寂しい存在のように思えたから。