ただ、あの空へ
−4月。
僕は山の中にある小さな小学校に赴任した。
全校児童は30人もいない。しかも校舎は築50年以上の木造校舎。『自然の家』といったほうがしっくりくるような学校だった。
僕は赴任する前に担当の人に言われていたことがあった。
「すまないがここでピアノの伴奏をしてほしい。」
この言葉を聞いた時、僕は初め、何の事かよくわからなかった。
この学校は、一年中ずっと全校で合唱をするというちょっと変わった学校だ。
ちょうど先日ピアノ伴奏が出来る人間がいなくなってしまい、困ってしまっていたという状況のようだった。
ピアノは15年やってきていたし、少しは自信もあったが、コンクールの伴奏となると話は違う。
「伴奏はちょっと…。」
と申し訳なさ気に伝えたのだが、先方にはもう伝えてあるらしく断れない。
不安をかかえたままの着任だった。
職員は9人。1番歳の近い人でも43歳。しかも男は自分を含めて3人しかいない。明らかに自分だけ浮いている。
仕事もよくわからないうえに、とにかく人間関係を築くかなくてはいけない。
僕は必死だった。
慣れないことだらけの毎日、通勤に1時間かかる職場。
家に帰ったら倒れ込む日々で、夜中に起きて仕事してピアノも練習するがうまくはかどらない。
気がつけば2週間が過ぎていた。
子どもたちは文句一つ言わず、毎日放課後に合唱の練習をしていた。
その練習を側で見守っていたある日、ついに僕の地獄の日々が幕を開けてしまった。
僕は山の中にある小さな小学校に赴任した。
全校児童は30人もいない。しかも校舎は築50年以上の木造校舎。『自然の家』といったほうがしっくりくるような学校だった。
僕は赴任する前に担当の人に言われていたことがあった。
「すまないがここでピアノの伴奏をしてほしい。」
この言葉を聞いた時、僕は初め、何の事かよくわからなかった。
この学校は、一年中ずっと全校で合唱をするというちょっと変わった学校だ。
ちょうど先日ピアノ伴奏が出来る人間がいなくなってしまい、困ってしまっていたという状況のようだった。
ピアノは15年やってきていたし、少しは自信もあったが、コンクールの伴奏となると話は違う。
「伴奏はちょっと…。」
と申し訳なさ気に伝えたのだが、先方にはもう伝えてあるらしく断れない。
不安をかかえたままの着任だった。
職員は9人。1番歳の近い人でも43歳。しかも男は自分を含めて3人しかいない。明らかに自分だけ浮いている。
仕事もよくわからないうえに、とにかく人間関係を築くかなくてはいけない。
僕は必死だった。
慣れないことだらけの毎日、通勤に1時間かかる職場。
家に帰ったら倒れ込む日々で、夜中に起きて仕事してピアノも練習するがうまくはかどらない。
気がつけば2週間が過ぎていた。
子どもたちは文句一つ言わず、毎日放課後に合唱の練習をしていた。
その練習を側で見守っていたある日、ついに僕の地獄の日々が幕を開けてしまった。