【短編集】闇に潜む影
若い男は怒りで顔を赤くしていた。
両手を握りしめ、それは今にも誰かを殴り飛ばしてしまいそうな、
そんな勢いまであった。
中年の男は、たしなめるような口調で、言葉をこぼす。
「・・・聞いてみないところには分からないからな。
・・・被害者の方の容態もまだ安定していない。
だから、・・・とりあえず今は取り調べに専念することだ」
「俺は、許せないです。あんな悪魔、人間じゃない!
子供が大けがして、生死をさまよっているのに、
平気でテレビ見て、夜になるまで探しに行かないなんて、鬼ですよ。あれは!」
「落ち着けよ」
中年の男は、胸ポケットから警察手帳を取り出し、
それを開くと、金色のエンブレムにそっと触れた。
そして、小さくため息を吐いた。
「あの被疑者はなぁ。・・・母であるよりも、・・・女であることを選んだんだよ。
母親ってものは、全力で子供を守るもんだ。自分が犠牲になろうとも、
子どもを幸せにする事が、母親の幸せなんだよ」
若い男は、不満そうな表情を浮かべていたが、何も言わなかった。
警部補と呼ばれたその男は、警察手帳を胸のポケットにしまうと、
作業を再開した。
静まりかえった部屋には、
二人のパソコンのキーボードをたたく音だけが響いていた。
澄んだ空気が漂う中、星が輝く夜だった。
それは、それは、とても美しく。
二人は、窓覗いた星空に、微かな希望が叶うようにと祈る。
せめて、少女の意識が回復するように、と。
若い男は、耐えられないというかのように、頭を抱えていた。
たった、たった6歳の少女が、ビルから飛び降りた。
「死ぬ」ということすら、本当に理解していないであろう、幼い子供が。
その現実は、あまりに重く、あまりに絶望的だった。