僕のミューズ
そうしてあの、『ありがとう』という手話をして見せた。
芹梨はそれを見て、少し嬉しそうに笑う。
『少し疲れた?』
俺が書き込むと、続けて芹梨が書いた。
『ううん。何で?』
『抜け出してたから』
酔ってる様子ではないし知らない顔も多かったから、気疲れしたのかな、俺はそう思っていた。
芹梨は少し俺の似合わないピンクの文字を見つめてから、視線を落としたまま首を振った。
『大丈夫。すごい楽しかったし。でも、』
そうして書いた言葉に、俺は一瞬、心臓を掴まれた感覚に陥った。
『あたしがいると、気使わせちゃうから』
そう書いて、ペンを置く。
遠くでサラリーマンの下品な笑い声が聞こえた。
「何で?」
俺は手話を使うことを忘れて、芹梨に向かって聞いた。
芹梨の表情は特に変わらず、さも当たり前の様に書き込んだ。
『みんな、あたしの方を向いて話してくれてた。佐奈もあたしがわからなかったら、手話で訳してくれてた。あたしがいなかったら、そういう手間いらないでしょ?』
そう伝える芹梨に、卑屈な感情があるわけじゃないことはすぐにわかった。
傷付いているわけでもない。そうだったらまだいい気がした。