夜嵐
電車がブレーキをかける瞬間、黒川はつり革を軽く握っていた。

電車の急なブレーキ、
つり革を握った左手、
医者から言われた言葉、
タバコ屋の親父、
税金払えと言う政治家、
そして、
保険金を払わない渡り鳥保険・・・

全ては偶然というなの出会いから始まった。

左手に握っていたつり革が、電車のブレーキに耐えきれず、放してしまった。
今まで体を支えていたものがなくなったのだ。
からだのバランスは崩れた。

とっさにもう片方の右手を窓の方へ伸ばした。だが、間に合わない。
黒川は座席に倒れ始める。
伸びた右手は窓から座席に流れていく。

「おわぁぁぁ・・・」

黒川は無意識に悲鳴をあげた。
54歳、仕事一筋、32年、独身ながらも社会のために、会社のために生きてきた黒川にとって、これはよそをしていなかった。
黒川自信、何がどうなったのか、わからなかった。

「・・・すみません」

黒川はただ謝るしかなかった。
悪いのか、悪くないのか、それは重要ではない。
和解の第一歩が大切なのだ。

だが、黒川は少しためらってから、謝った。
それは意識がはっきりしていくにつれて、自分がまるで土下座をしているような姿をしているためだ。膝を曲げ、両手を前に、頭を低く・・・

（最悪だ）

黒川は今なら死んでもいいと思えた。

「大丈夫ですか？」

優しい女性の声が聞こえた。

（はっ・・・）

一瞬だが、胸の鼓動が大きくなった。
黒川はゆっくりと顔をあげた。
< 15 / 22 >
表紙・目次

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop