夜嵐

「待って下さい。
まだ、話が終わっていません。
席についてください」

必死に説得しようとした。
この医者は患者をなんだと思っているのだろうか。
黒川をもうすぐ死ぬ患者と見ているのか、それとも自分の給料を運んでくる配達人と見ているのか。
どちらも嫌な答えだ。
『貴方のためを思って………』
その答えはないだろう。

扉を開けようとしたが、このまま帰ると後味が悪い。
扉を開ける前に、西沢先生の方を向いた。
西沢先生は椅子から立っている。
突然、診療所から出ようとした黒川を見て、驚いたのだろう。
カルテが机に散らばっている。

「もう少し、勉強しなさい」

まるで、自分の子供をしつけるように言った。
この歳で怒ることは滅多になかった。

黒川の務める会社は小さな電機メーカーである。
部署は営業課。
この会社は電気部品を作る会社で、それが大手の電機メーカーの家電製品の中に組み込まれ、世の中に流れる。
そのため、認知度は低い。
それでも続けているのは、生活のためであり、世の中を支える技術だからである。

『大きい物を作るには小さい物が支えなければならない』

黒川は自分の会社があるから、日本の技術や製品は進化していると考えている。
それは社員も同じだ。
営業で仕事を見つけ、技術者と打ち合わせを行う際、『できない』とは言わせない。
それは会社の方針でもある。
黒川は長年営業に携わっているため、会社を熟知している。
不可能な仕事は持ってこない。不可能に近い仕事を持っていく。
そうすることで、技術力を上げながら、仕事を行うことが出来る。

そのために『話し合い』を大切にする。
お客様にも技術者にも、上司にも、部下にも、話し合うことが重要だ。
それには手順が必要だ。
会話にマニュアルなどない。
互いが深く知り、相手が何を求めているのかを知らなければならない。

だが、この医者にはそれがない。
自分でも気付いていないだろう。
自分で作ったマニュアルを読んだ診断をしているのだと。
そのせいで、少しでも話がズレると機嫌を損ねる。
黒川は扉を開け、診察室を出た。
扉の向かうでは、「黒川さん！」と叫ぶ、西沢先生の声が聞こえた。