穢れなき獣の涙
旅をしていっそう、周りはめまぐるしく変わりゆき、気がつけば大きな流れのなかに呑み込まれていた。

 自分の意思とは関係なく巻き込まれていく。

 それが、運命というものなのだろう。

 そうして、ポータルの準備が整ったことを確認するとヴァラオムは人に変化した。

「いざ、対峙の場へ」

 それが合図となって、奏でた一人の言葉から声は増し、輪唱のごとく響き渡る。

 重なっていく声は共鳴し、さらなる音の洪水を生み出していく。

 詠唱は不思議と眺めている長老たちの耳には五月蠅いとは感じられず、魔法円のなかから見つめるシレアの瞳と見合っていた。

 声がふいに途切れた刹那、シレアたちの姿は霧のようにかき消える──

「行ったか」

 誰にも誇れるわしの自慢の息子じゃ、負けるはずがない。

 瞼を閉じ、祈るようにつぶやいた。

 ディナスは一緒に行くと言い張ったが、シレアはそれを止めた。

 年寄り扱いするなと怒ってはみたものの、集落を守ってほしいと言われれば仕方がない。

 愛想も無く世話もかからなかったシレアは、集落の誰よりも愛情深いということをディナスは知っている。

 愛する息子よ、自然の民の子よ。

 その勇姿を示し、敵を圧倒せしめよ──鈍色の空を仰ぎ、深く息を吸い込んだ。



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