ななころび
第一章 初恋
夢をみた。ベレー帽の女の子。子犬のような深い色の瞳。吸い寄せられるように僕は顔を寄せて唇に触れた。
「本当にナナチャンと結婚したい。」
笹やぶが風に揺らぐ音が、ざわざわと不安な心をくすぐった。マンションの階段だった。艶やかな唇に触れ、刹那さに胸を締め上げられながら、ななちゃんを抱きしめた。僕は、3歳だった。



結局、ななちゃんの父親の転勤と共に、僕の初恋は封印されてしまった。最近、また失恋して、新しい恋を探しているところだ。
今、バイト中。僕は匿名のカウンセラーで、僕の目の前にはクライアントの女の子が座っている。彼女は、30歳で、疲れきっていた。恋人に捨てられて、僕に相談に来たのだ。
「お父さんは、私には普通の幸せが似合うって言うの」
彼女の方は夢中だが、相手の男は他の女に入れ込んでいるらしかった。
 けれども、彼女はまだ、実らぬ恋を諦めきれない。本当は、自分の価値を彼に訴えたいのだ。彼にぶつけたい。
「本当にアキラと結婚したい」彼女の目から涙がこぼれた。かわして逃げた、相手の男はずるいやつだ。 
こういう場合、僕は、共感的立場をとるべきなのだと思う。僕は、彼女の父でも兄でもない。
 けれども、僕は、ちょっとこの女の子が鬱陶しくなった。

「お父さんは正しいよ。」と僕は言った。

「君は??子どもができたらどうするの?自分がご両親にしてもらっこのたように大事に育ててやれるかな?」
「子どもができた時に「間違いだった」なんてことになる男女関係は、もともと、距離の取り方間違えてんだよ。」

恋だの愛だの言うには、このおじょうさんの貞操観念は古い気がした。
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