僕の脳の痛い部分
自転車ととりあたま
僕の自転車がない。中学にも高校にもしがないスーパーでも高級な繁華街でも嫌われがちの病院にももちろん自宅にも、どこにだって自転車置き場があり、自転車が置かれている。それは規則正しかったり、ドミノ倒しにされていたりとそれは様々で、自転車自身も雨に打たれてさびていたり、棄てられていたり、それは人目見れば誰にだってわかる。そして、自転車は、どこにも複数は存在しない。絶対に一つだ。同じメーカー、同じ色、同じデザインであっても、物というものは所有者によってかたちを変える。何十年たっても綺麗であったり、一瞬で焼却炉行きの物だっているはずである。僕はなるべく前者の人間の側につきたいと思う。僕自身は、別にどちらだって構わない。物の心情はあるかもわからない不確定であるから、人間という生き物であれば、どちらだっていいのだ。だって、他者に迷惑はかけはしない。ただ、僕が物になるならできるだけ丁寧に扱ってほしいというワガママであり矛盾だ。仕方がない。人間は自己中心的な生き物であるからして。ということで話を戻すと、僕の自転車がみあたらない。大体の高校には二階建てぐらいの規模の自転車置き場があるはずだ。それはずらりと自転車が一様に、まるで一つの芸術のように同じ方向を向いてクラスごとに並んでいる。それでないと、汚いといわれて教師に怒られるからだ。そんなどこの自転車置き場よりも綺麗な場所で、僕の自転車がみあたらない。どこよりも探しやすい場所なのに。