黒の歌姫
 精霊の姿が消えると、ランダーは一人で馬の様子を見に行った。馬たちは湖岸から離れた場所につないであったので無事だったが、さすがにあの大波を見たばかりで気が立っているようだった。特にソニアの馬は、どう見てもすぐには乗れないようだ。
 ランダーは馬をなんとかなだめて、必要な荷物を取り出すと、湖畔にもどった。湖畔では、ソニアがひざを抱えてすわりこんでいた。「ソニア、乾いたものを持ってきたぞ。向こうで着替えて来い。俺は火を起こすから」
 ランダーが声をかけると、ソニアは顔を上げてにっこりと笑った。その無邪気な笑顔に、ランダーも微かな笑みを浮かべ、ソニアに手を差し出した。ソニアは、その手を取って立ちあがると、ランダーを見上げて言った。
「ありがとう、ランダー」
「なんだ、いきなり」
「あなたはあたしを護ってくれたわ」
「それが約束だろう?」
 ランダーはそう言ってソニアに着替えを差し出した。
「そうね……でもね」
 ソニアはさらに一歩、ランダーに近づいた。「愛してるわ、ランダー」
 ランダーはふいをつかれたように、黙ってソニアを見つめた。ソニアの黒い目には、いつもの気まぐれさはなく、息詰まるほど真剣なものが宿っていた。
 しかし、すぐにランダーは、あきれたように首をふった。
「今度俺にその言葉を言ったら、さるぐつわをかませると言っただろう」
 すると、ソニアはつま先立って背伸びをすると、ランダーの唇に軽くキスをした。
「キスの方がいいって言ったでしょう?」
 ソニアはあっけに取られているランダーの手から着替えを取って、木陰へと消えた。
< 32 / 55 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop